【急騰】今買えばいい株5940【追証祭り開催】

1 :山師さん(フリッテル MM3f-/3cR):2016/05/18(水) 23:06:08.49 ID:b8ESM9IuM.net
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避難所
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※前スレ
【急騰】今買えばいい株5939【M字ハゲ】
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131 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:15:32.75 ID:xGA19+n40.net

ごの笹飴ささあめが食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの
行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「
西の方だよ」と云うと「箱根はこねのさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
 出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中とちゅう小間物屋で買って来た歯磨はみが
きと楊子ようじと手拭てぬぐいをズックの革鞄かばんに入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもな
かなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの
顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌きげんよう」と小さな声で云った。目に
涙なみだが一杯いっぱいたまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽
車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だいしょうぶだろうと思って、窓から首を出して、振り向いた
ら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。

 ぶうと云いって汽船がとまると、艀はしけが岸を離はなれて、漕こぎ寄せて来た。船頭は真まっ裸ぱだ
かに赤ふんどしをしめている。野蛮やばんな所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いの
で水がやに光る。見つめていても眼めがくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。
見るところでは大森おおもりぐらいな漁村だ。人を馬鹿ばかにしていらあ、こんな所に我慢がまんが出来
るものかと思ったが仕方がない。威勢いせいよく一番に飛び込んだ。続つづいて五六人は乗ったろう。外
に大きな箱はこを四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻もどして来た。陸おかへ着いた時も、いの一
番に飛び上がって、いきなり、磯いそに立っていた鼻たれ小僧こぞうをつらまえて中学校はどこだと聞い
た。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎いなかものだ。猫ねこの額ほどな町内
の癖くせに、中学校のありかも知らぬ奴やつがあるものか。ところへ妙みょうな筒つつっぽうを着た男が
きて、こっちへ来いと云うから、尾ついて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃そ
ろえてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云った
ら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった
。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄かばんを二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋
のものは変な顔をしていた。
 停車場はすぐ知れた。切符きっぷも訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろご
ろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭
である。それから車を傭やとって、中学校へ来たら、もう放課後で誰だれも居ない。宿直はちょっと用達
ようたしに出たと小使こづかいが教えた。随分ずいぶん気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋たずねよう
かと思ったが、草臥くたびれたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく
山城屋やましろやと云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎かんたろうの屋号と同じだからち
ょっと面白く思った。
 何だか二階の楷子段はしごだんの下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はい

49 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 09:59:07.90 ID:xGA19+n40.net

に、今の親は子に食われるだけだ」などという言葉があった。それらを私はただ黙って聞いていた。
 小言が一通り済んだと思った時、私は静かに席を立とうとした。父はいつ行くかと私に尋ねた。私には
早いだけが好よかった。
「お母さんに日を見てもらいなさい」
「そうしましょう」
 その時の私は父の前に存外ぞんがいおとなしかった。私はなるべく父の機嫌に逆らわずに、田舎いなか
を出ようとした。父はまた私を引ひき留とめた。
「お前が東京へ行くと宅うちはまた淋さみしくなる。何しろ己おれとお母さんだけなんだからね。そのお
れも身体からださえ達者なら好いいが、この様子じゃいつ急にどんな事がないともいえないよ」
 私はできるだけ父を慰めて、自分の机を置いてある所へ帰った。私は取り散らした書物の間に坐すわっ
て、心細そうな父の態度と言葉とを、幾度いくたびか繰り返し眺めた。私はその時また蝉せみの声を聞い
た。その声はこの間中あいだじゅう聞いたのと違って、つくつく法師ぼうしの声であった。私は夏郷里に
帰って、煮え付くような蝉の声の中に凝じっと坐っていると、変に悲しい心持になる事がしばしばあった
。私の哀愁はいつもこの虫の烈はげしい音ねと共に、心の底に沁しみ込むように感ぜられた。私はそんな
時にはいつも動かずに、一人で一人を見詰めていた。
 私の哀愁はこの夏帰省した以後次第に情調を変えて来た。油蝉の声がつくつく法師の声に変るごとくに
、私を取り巻く人の運命が、大きな輪廻りんねのうちに、そろそろ動いているように思われた。私は淋さ
びしそうな父の態度と言葉を繰り返しながら、手紙を出しても返事を寄こさない先生の事をまた憶おもい
浮べた。先生と父とは、まるで反対の印象を私に与える点において、比較の上にも、連想の上にも、いっ
しょに私の頭に上のぼりやすかった。
 私はほとんど父のすべても知り尽つくしていた。もし父を離れるとすれば、情合じょうあいの上に親子
の心残りがあるだけであった。先生の多くはまだ私に解わかっていなかった。話すと約束されたその人の
過去もまだ聞く機会を得ずにいた。要するに先生は私にとって薄暗かった。私はぜひともそこを通り越し
て、明るい所まで行かなければ気が済まなかった。先生と関係の絶えるのは私にとって大いな苦痛であっ
た。私は母に日を見てもらって、東京へ立つ日取りを極きめた。

 私わたくしがいよいよ立とうという間際になって、(たしか二日前の夕方の事であったと思うが、)父
はまた突然引ひっ繰くり返かえった。私はその時書物や衣類を詰めた行李こうりをからげていた。父は風
呂ふろへ入ったところであった。父の背中を流しに行った母が大きな声を出して私を呼んだ。私は裸体は
だかのまま母に後ろから抱かれている父を見た。それでも座敷へ伴つれて戻った時、父はもう大丈夫だと
いった。念のために枕元まくらもとに坐すわって、濡手拭ぬれてぬぐいで父の頭を冷ひやしていた私は、
九時頃ごろになってようやく形かたばかりの夜食を済ました。
 翌日よくじつになると父は思ったより元気が好よかった。留とめるのも聞かずに歩いて便所へ行ったり
した。
「もう大丈夫」
 父は去年の暮倒れた時に私に向かっていったと同じ言葉をまた繰り返した。その時ははたして口でいっ
た通りまあ大丈夫であった。私は今度もあるいはそうなるかも知れないと思った。しかし医者はただ用心
が肝要だと注意するだけで、念を押しても判然はっきりした事を話してくれなかった。私は不安のために

150 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 11:07:54.46 ID:xGA19+n40.net

角かどにあるので、棟むねの位置からいうと、座敷よりもかえって掛け離れた静かさを領りょうしていた
。ひとしきりで奥さんの話し声が已やむと、後あとはしんとした。私は泥棒を待ち受けるような心持で、
凝じっとしながら気をどこかに配った。
 三十分ほどすると、奥さんがまた書斎の入口へ顔を出した。「おや」といって、軽く驚いた時の眼を私
に向けた。そうして客に来た人のように鹿爪しかつめらしく控えている私をおかしそうに見た。
「それじゃ窮屈でしょう」
「いえ、窮屈じゃありません」
「でも退屈でしょう」
「いいえ。泥棒が来るかと思って緊張しているから退屈でもありません」
 奥さんは手に紅茶茶碗こうちゃぢゃわんを持ったまま、笑いながらそこに立っていた。
「ここは隅っこだから番をするには好よくありませんね」と私がいった。
「じゃ失礼ですがもっと真中へ出て来て頂戴ちょうだい。ご退屈たいくつだろうと思って、お茶を入れて
持って来たんですが、茶の間で宜よろしければあちらで上げますから」
 私は奥さんの後あとに尾ついて書斎を出た。茶の間には綺麗きれいな長火鉢ながひばちに鉄瓶てつびん
が鳴っていた。私はそこで茶と菓子のご馳走ちそうになった。奥さんは寝ねられないといけないといって
、茶碗に手を触れなかった。
「先生はやっぱり時々こんな会へお出掛でかけになるんですか」
「いいえ滅多めったに出た事はありません。近頃ちかごろは段々人の顔を見るのが嫌きらいになるようで
す」
 こういった奥さんの様子に、別段困ったものだという風ふうも見えなかったので、私はつい大胆になっ
た。
「それじゃ奥さんだけが例外なんですか」
「いいえ私も嫌われている一人なんです」
「そりゃ嘘うそです」と私がいった。「奥さん自身嘘と知りながらそうおっしゃるんでしょう」
「なぜ」
「私にいわせると、奥さんが好きになったから世間が嫌いになるんですもの」
「あなたは学問をする方かただけあって、なかなかお上手じょうずね。空からっぽな理屈を使いこなす事
が。世の中が嫌いになったから、私までも嫌いになったんだともいわれるじゃありませんか。それと同お
んなじ理屈で」
「両方ともいわれる事はいわれますが、この場合は私の方が正しいのです」
「議論はいやよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白そうに。空からの盃さかずきでよくああ飽きず
に献酬けんしゅうができると思いますわ」
 奥さんの言葉は少し手痛てひどかった。しかしその言葉の耳障みみざわりからいうと、決して猛烈なも
のではなかった。自分に頭脳のある事を相手に認めさせて、そこに一種の誇りを見出みいだすほどに奥さ
んは現代的でなかった。奥さんはそれよりもっと底の方に沈んだ心を大事にしているらしく見えた。

十七

 私わたくしはまだその後あとにいうべき事をもっていた。けれども奥さんから徒いたずらに議論を仕掛
ける男のように取られては困ると思って遠慮した。奥さんは飲み干した紅茶茶碗こうちゃぢゃわんの底を
覗のぞいて黙っている私を外そらさないように、「もう一杯上げましょうか」と聞いた。私はすぐ茶碗を
奥さんの手に渡した。
「いくつ? 一つ? 二ッつ?」
 妙なもので角砂糖をつまみ上げた奥さんは、私の顔を見て、茶碗の中へ入れる砂糖の数かずを聞いた。
奥さんの態度は私に媚こびるというほどではなかったけれども、先刻さっきの強い言葉を力つとめて打ち

41 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 09:57:19.79 ID:xGA19+n40.net

三十六

 私わたくしはその翌日よくじつも暑さを冒おかして、頼まれものを買い集めて歩いた。手紙で注文を受
けた時は何でもないように考えていたのが、いざとなると大変臆劫おっくうに感ぜられた。私は電車の中
で汗を拭ふきながら、他ひとの時間と手数に気の毒という観念をまるでもっていない田舎者いなかものを
憎らしく思った。
 私はこの一夏ひとなつを無為に過ごす気はなかった。国へ帰ってからの日程というようなものをあらか
じめ作っておいたので、それを履行りこうするに必要な書物も手に入れなければならなかった。私は半日
を丸善まるぜんの二階で潰つぶす覚悟でいた。私は自分に関係の深い部門の書籍棚の前に立って、隅から
隅まで一冊ずつ点検して行った。
 買物のうちで一番私を困らせたのは女の半襟はんえりであった。小僧にいうと、いくらでも出してはく
れるが、さてどれを選んでいいのか、買う段になっては、ただ迷うだけであった。その上価あたいが極き
わめて不定であった。安かろうと思って聞くと、非常に高かったり、高かろうと考えて、聞かずにいると
、かえって大変安かったりした。あるいはいくら比べて見ても、どこから価格の差違が出るのか見当の付
かないのもあった。私は全く弱らせられた。そうして心のうちで、なぜ先生の奥さんを煩わずらわさなか
ったかを悔いた。
 私は鞄かばんを買った。無論和製の下等な品に過ぎなかったが、それでも金具やなどがぴかぴかしてい
るので、田舎ものを威嚇おどかすには充分であった。この鞄を買うという事は、私の母の注文であった。
卒業したら新しい鞄を買って、そのなかに一切いっさいの土産みやげものを入れて帰るようにと、わざわ
ざ手紙の中に書いてあった。私はその文句を読んだ時に笑い出した。私には母の料簡りょうけんが解わか
らないというよりも、その言葉が一種の滑稽こっけいとして訴えたのである。
 私は暇乞いとまごいをする時先生夫婦に述べた通り、それから三日目の汽車で東京を立って国へ帰った
。この冬以来父の病気について先生から色々の注意を受けた私は、一番心配しなければならない地位にあ
りながら、どういうものか、それが大して苦にならなかった。私はむしろ父がいなくなったあとの母を想
像して気の毒に思った。そのくらいだから私は心のどこかで、父はすでに亡くなるべきものと覚悟してい
たに違いなかった。九州にいる兄へやった手紙のなかにも、私は父の到底とても故もとのような健康体に
なる見込みのない事を述べた。一度などは職務の都合もあろうが、できるなら繰り合せてこの夏ぐらい一
度顔だけでも見に帰ったらどうだとまで書いた。その上年寄が二人ぎりで田舎にいるのは定さだめて心細
いだろう、我々も子として遺憾いかんの至いたりであるというような感傷的な文句さえ使った。私は実際
心に浮ぶままを書いた。けれども書いたあとの気分は書いた時とは違っていた。
 私はそうした矛盾を汽車の中で考えた。考えているうちに自分が自分に気の変りやすい軽薄もののよう
に思われて来た。私は不愉快になった。私はまた先生夫婦の事を想おもい浮べた。ことに二、三日前晩食
ばんめしに呼ばれた時の会話を憶おもい出した。
「どっちが先へ死ぬだろう」
 私はその晩先生と奥さんの間に起った疑問をひとり口の内で繰り返してみた。そうしてこの疑問には誰
も自信をもって答える事ができないのだと思った。しかしどっちが先へ死ぬと判然はっきり分っていたな

99 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:09:08.38 ID:xGA19+n40.net

に若い女から取り扱われると腹が立ちました。ところがそこに気の付くのは、同じ食卓に着いているもの
のうちで奥さん一人だったのです。Kはむしろ平気でした。お嬢さんの態度になると、知ってわざとやる
のか、知らないで無邪気むじゃきにやるのか、そこの区別がちょっと判然はんぜんしない点がありました
。若い女としてお嬢さんは思慮に富んだ方ほうでしたけれども、その若い女に共通な私の嫌いなところも
、あると思えば思えなくもなかったのです。そうしてその嫌いなところは、Kが宅へ来てから、始めて私
の眼に着き出したのです。私はそれをKに対する私の嫉妬しっとに帰きしていいものか、または私に対す
るお嬢さんの技巧と見傚みなしてしかるべきものか、ちょっと分別に迷いました。私は今でも決してその
時の私の嫉妬心を打ち消す気はありません。私はたびたび繰り返した通り、愛の裏面りめんにこの感情の
働きを明らかに意識していたのですから。しかも傍はたのものから見ると、ほとんど取るに足りない瑣事
さじに、この感情がきっと首を持ち上げたがるのでしたから。これは余事よじですが、こういう嫉妬しっ
とは愛の半面じゃないでしょうか。私は結婚してから、この感情がだんだん薄らいで行くのを自覚しまし
た。その代り愛情の方も決して元のように猛烈ではないのです。
 私はそれまで躊躇ちゅうちょしていた自分の心を、一思ひとおもいに相手の胸へ擲たたき付けようかと
考え出しました。私の相手というのはお嬢さんではありません、奥さんの事です。奥さんにお嬢さんを呉
くれろと明白な談判を開こうかと考えたのです。しかしそう決心しながら、一日一日と私は断行の日を延
ばして行ったのです。そういうと私はいかにも優柔ゆうじゅうな男のように見えます、また見えても構い
ませんが、実際私の進みかねたのは、意志の力に不足があったためではありません。Kの来ないうちは、
他ひとの手に乗るのが厭いやだという我慢が私を抑おさえ付けて、一歩も動けないようにしていました。
Kの来た後のちは、もしかするとお嬢さんがKの方に意があるのではなかろうかという疑念が絶えず私を
制するようになったのです。はたしてお嬢さんが私よりもKに心を傾けているならば、この恋は口へいい
出す価値のないものと私は決心していたのです。恥を掻かかせられるのが辛つらいなどというのとは少し
訳が違います。こっちでいくら思っても、向うが内心他ほかの人に愛の眼まなこを注そそいでいるならば
、私はそんな女といっしょになるのは厭なのです。世の中では否応いやおうなしに自分の好いた女を嫁に
貰もらって嬉うれしがっている人もありますが、それは私たちよりよっぽど世間ずれのした男か、さもな
ければ愛の心理がよく呑のみ込めない鈍物どんぶつのする事と、当時の私は考えていたのです。一度貰っ
てしまえばどうかこうか落ち付くものだぐらいの哲理では、承知する事ができないくらい私は熱していま
した。つまり私は極めて高尚な愛の理論家だったのです。同時にもっとも迂遠うえんな愛の実際家だった
のです。
 肝心かんじんのお嬢さんに、直接この私というものを打ち明ける機会も、長くいっしょにいるうちには
時々出て来たのですが、私はわざとそれを避けました。日本の習慣として、そういう事は許されていない
のだという自覚が、その頃の私には強くありました。しかし決してそればかりが私を束縛したとはいえま
せん。日本人、ことに日本の若い女は、そんな場合に、相手に気兼きがねなく自分の思った通りを遠慮せ

93 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:07:56.32 ID:xGA19+n40.net

二十九

「私は思い切って自分の心をKに打ち明けようとしました。もっともこれはその時に始まった訳でもなか
ったのです。旅に出ない前から、私にはそうした腹ができていたのですけれども、打ち明ける機会をつら
まえる事も、その機会を作り出す事も、私の手際てぎわでは旨うまくゆかなかったのです。今から思うと
、その頃私の周囲にいた人間はみんな妙でした。女に関して立ち入った話などをするものは一人もありま
せんでした。中には話す種たねをもたないのも大分だいぶいたでしょうが、たといもっていても黙ってい
るのが普通のようでした。比較的自由な空気を呼吸している今のあなたがたから見たら、定めし変に思わ
れるでしょう。それが道学どうがくの余習よしゅうなのか、または一種のはにかみなのか、判断はあなた
の理解に任せておきます。
 Kと私は何でも話し合える中でした。偶たまには愛とか恋とかいう問題も、口に上のぼらないではあり
ませんでしたが、いつでも抽象的な理論に落ちてしまうだけでした。それも滅多めったには話題にならな
かったのです。大抵は書物の話と学問の話と、未来の事業と、抱負と、修養の話ぐらいで持ち切っていた
のです。いくら親しくってもこう堅くなった日には、突然調子を崩くずせるものではありません。二人は
ただ堅いなりに親しくなるだけです。私はお嬢さんの事をKに打ち明けようと思い立ってから、何遍なん
べん歯がゆい不快に悩まされたか知れません。私はKの頭のどこか一カ所を突き破って、そこから柔らか
い空気を吹き込んでやりたい気がしました。
 あなたがたから見て笑止千万しょうしせんばんな事もその時の私には実際大困難だったのです。私は旅
先でも宅うちにいた時と同じように卑怯ひきょうでした。私は始終機会を捕える気でKを観察していなが
ら、変に高踏的な彼の態度をどうする事もできなかったのです。私にいわせると、彼の心臓の周囲は黒い
漆うるしで重あつく塗り固められたのも同然でした。私の注そそぎ懸けようとする血潮は、一滴もその心
臓の中へは入らないで、悉ことごとく弾はじき返されてしまうのです。
 或ある時はあまりKの様子が強くて高いので、私はかえって安心した事もあります。そうして自分の疑
いを腹の中で後悔すると共に、同じ腹の中で、Kに詫わびました。詫びながら自分が非常に下等な人間の
ように見えて、急に厭いやな心持になるのです。しかし少時しばらくすると、以前の疑いがまた逆戻りを
して、強く打ち返して来ます。すべてが疑いから割り出されるのですから、すべてが私には不利益でした
。容貌ようぼうもKの方が女に好かれるように見えました。性質も私のようにこせこせしていないところ
が、異性には気に入るだろうと思われました。どこか間まが抜けていて、それでどこかに確しっかりした
男らしいところのある点も、私よりは優勢に見えました。学力がくりきになれば専門こそ違いますが、私
は無論Kの敵でないと自覚していました。――すべて向うの好いいところだけがこう一度に眼先めさきへ
散らつき出すと、ちょっと安心した私はすぐ元の不安に立ち返るのです。
 Kは落ち付かない私の様子を見て、厭いやならひとまず東京へ帰ってもいいといったのですが、そうい
われると、私は急に帰りたくなくなりました。実はKを東京へ帰したくなかったのかも知れません。二人
は房州ぼうしゅうの鼻を廻まわって向う側へ出ました。我々は暑い日に射いられながら、苦しい思いをし

113 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:11:56.55 ID:xGA19+n40.net

ればそれまでですが、私の良心がまたそれを許すべきはずはなかったのですから。
 Kに対する私の良心が復活したのは、私が宅の格子こうしを開けて、玄関から坐敷ざしきへ通る時、す
なわち例のごとく彼の室へやを抜けようとした瞬間でした。彼はいつもの通り机に向って書見をしていま
した。彼はいつもの通り書物から眼を放して、私を見ました。しかし彼はいつもの通り今帰ったのかとは
いいませんでした。彼は「病気はもう癒いいのか、医者へでも行ったのか」と聞きました。私はその刹那
せつなに、彼の前に手を突いて、詫あやまりたくなったのです。しかも私の受けたその時の衝動は決して
弱いものではなかったのです。もしKと私がたった二人曠野こうやの真中にでも立っていたならば、私は
きっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいます。私の自然
はすぐそこで食い留められてしまったのです。そうして悲しい事に永久に復活しなかったのです。
 夕飯ゆうめしの時Kと私はまた顔を合せました。何にも知らないKはただ沈んでいただけで、少しも疑
い深い眼を私に向けません。何にも知らない奥さんはいつもより嬉うれしそうでした。私だけがすべてを
知っていたのです。私は鉛のような飯を食いました。その時お嬢さんはいつものようにみんなと同じ食卓
に並びませんでした。奥さんが催促すると、次の室で只今ただいまと答えるだけでした。それをKは不思
議そうに聞いていました。しまいにどうしたのかと奥さんに尋ねました。奥さんは大方おおかた極きまり
が悪いのだろうといって、ちょっと私の顔を見ました。Kはなお不思議そうに、なんで極りが悪いのかと
追窮ついきゅうしに掛かかりました。奥さんは微笑しながらまた私の顔を見るのです。
 私は食卓に着いた初めから、奥さんの顔付かおつきで、事の成行なりゆきをほぼ推察していました。し
かしKに説明を与えるために、私のいる前で、それを悉ことごとく話されては堪たまらないと考えました
。奥さんはまたそのくらいの事を平気でする女なのですから、私はひやひやしたのです。幸いにKはまた
元の沈黙に帰りました。平生へいぜいより多少機嫌のよかった奥さんも、とうとう私の恐れを抱いだいて
いる点までは話を進めずにしまいました。私はほっと一息ひといきして室へ帰りました。しかし私がこれ
から先Kに対して取るべき態度は、どうしたものだろうか、私はそれを考えずにはいられませんでした。
私は色々の弁護を自分の胸で拵こしらえてみました。けれどもどの弁護もKに対して面と向うには足りま
せんでした、卑怯ひきょうな私はついに自分で自分をKに説明するのが厭いやになったのです。

四十七

「私はそのまま二、三日過ごしました。その二、三日の間Kに対する絶えざる不安が私の胸を重くしてい
たのはいうまでもありません。私はただでさえ何とかしなければ、彼に済まないと思ったのです。その上
奥さんの調子や、お嬢さんの態度が、始終私を突ッつくように刺戟しげきするのですから、私はなお辛つ
らかったのです。どこか男らしい気性を具そなえた奥さんは、いつ私の事を食卓でKに素すっぱ抜かない
とも限りません。それ以来ことに目立つように思えた私に対するお嬢さんの挙止動作きょしどうさも、K
の心を曇らす不審の種とならないとは断言できません。私は何とかして、私とこの家族との間に成り立っ
た新しい関係を、Kに知らせなければならない位置に立ちました。しかし倫理的に弱点をもっていると、

161 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 11:10:06.61 ID:xGA19+n40.net

と、先生は知らん顔をしてよそを向いて歩いた。
 やがて若葉に鎖とざされたように蓊欝こんもりした小高い一構ひとかまえの下に細い路みちが開ひらけ
た。門の柱に打ち付けた標札に何々園とあるので、その個人の邸宅でない事がすぐ知れた。先生はだらだ
ら上のぼりになっている入口を眺ながめて、「はいってみようか」といった。私はすぐ「植木屋ですね」
と答えた。
 植込うえこみの中を一ひとうねりして奥へ上のぼると左側に家うちがあった。明け放った障子しょうじ
の内はがらんとして人の影も見えなかった。ただ軒先のきさきに据えた大きな鉢の中に飼ってある金魚が
動いていた。
「静かだね。断わらずにはいっても構わないだろうか」
「構わないでしょう」
 二人はまた奥の方へ進んだ。しかしそこにも人影は見えなかった。躑躅つつじが燃えるように咲き乱れ
ていた。先生はそのうちで樺色かばいろの丈たけの高いのを指して、「これは霧島きりしまでしょう」と
いった。
 芍薬しゃくやくも十坪とつぼあまり一面に植え付けられていたが、まだ季節が来ないので花を着けてい
るのは一本もなかった。この芍薬畠ばたけの傍そばにある古びた縁台のようなものの上に先生は大の字な
りに寝た。私はその余った端はじの方に腰をおろして烟草タバコを吹かした。先生は蒼あおい透すき徹と
おるような空を見ていた。私は私を包む若葉の色に心を奪われていた。その若葉の色をよくよく眺ながめ
ると、一々違っていた。同じ楓かえでの樹きでも同じ色を枝に着けているものは一つもなかった。細い杉
苗の頂いただきに投げ被かぶせてあった先生の帽子が風に吹かれて落ちた。

二十七

 私わたくしはすぐその帽子を取り上げた。所々ところどころに着いている赤土を爪つめで弾はじきなが
ら先生を呼んだ。
「先生帽子が落ちました」
「ありがとう」
 身体からだを半分起してそれを受け取った先生は、起きるとも寝るとも片付かないその姿勢のままで、
変な事を私に聞いた。
「突然だが、君の家うちには財産がよっぽどあるんですか」
「あるというほどありゃしません」
「まあどのくらいあるのかね。失礼のようだが」
「どのくらいって、山と田地でんぢが少しあるぎりで、金なんかまるでないんでしょう」
 先生が私の家いえの経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ
先生の暮し向きに関して、何も聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして
遊んでいられるかを疑うたぐった。その後もこの疑いは絶えず私の胸を去らなかった。しかし私はそんな
露骨あらわな問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えていた。若葉の色で疲
れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」
「私は財産家と見えますか」
 先生は平生からむしろ質素な服装なりをしていた。それに家内かないは小人数こにんずであった。した
がって住宅も決して広くはなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私
の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは贅沢ぜいたくといえないまでも、あたじけなく切り詰
めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家う

76 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:04:32.12 ID:xGA19+n40.net

み込んだ疑いを挟さしはさまずにはいられませんでした。私は奥さんのこの態度のどっちかが本当で、ど
っちかが偽いつわりだろうと推定しました。そうして判断に迷いました。ただ判断に迷うばかりでなく、
何でそんな妙な事をするかその意味が私には呑のみ込めなかったのです。理由わけを考え出そうとしても
、考え出せない私は、罪を女という一字に塗なすり付けて我慢した事もありました。必竟ひっきょう女だ
からああなのだ、女というものはどうせ愚ぐなものだ。私の考えは行き詰つまればいつでもここへ落ちて
来ました。
 それほど女を見縊みくびっていた私が、またどうしてもお嬢さんを見縊る事ができなかったのです。私
の理屈はその人の前に全く用を為なさないほど動きませんでした。私はその人に対して、ほとんど信仰に
近い愛をもっていたのです。私が宗教だけに用いるこの言葉を、若い女に応用するのを見て、あなたは変
に思うかも知れませんが、私は今でも固く信じているのです。本当の愛は宗教心とそう違ったものでない
という事を固く信じているのです。私はお嬢さんの顔を見るたびに、自分が美しくなるような心持がしま
した。お嬢さんの事を考えると、気高けだかい気分がすぐ自分に乗り移って来るように思いました。もし
愛という不可思議なものに両端りょうはじがあって、その高い端はじには神聖な感じが働いて、低い端に
は性欲せいよくが動いているとすれば、私の愛はたしかにその高い極点を捕つらまえたものです。私はも
とより人間として肉を離れる事のできない身体からだでした。けれどもお嬢さんを見る私の眼や、お嬢さ
んを考える私の心は、全く肉の臭においを帯びていませんでした。
 私は母に対して反感を抱いだくと共に、子に対して恋愛の度を増まして行ったのですから、三人の関係
は、下宿した始めよりは段々複雑になって来ました。もっともその変化はほとんど内面的で外へは現れて
来なかったのです。そのうち私はあるひょっとした機会から、今まで奥さんを誤解していたのではなかろ
うかという気になりました。奥さんの私に対する矛盾した態度が、どっちも偽りではないのだろうと考え
直して来たのです。その上、それが互たがい違ちがいに奥さんの心を支配するのでなくって、いつでも両
方が同時に奥さんの胸に存在しているのだと思うようになったのです。つまり奥さんができるだけお嬢さ
んを私に接近させようとしていながら、同時に私に警戒を加えているのは矛盾のようだけれども、その警
戒を加える時に、片方の態度を忘れるのでも翻すのでも何でもなく、やはり依然として二人を接近させた
がっていたのだと観察したのです。ただ自分が正当と認める程度以上に、二人が密着するのを忌いむのだ
と解釈したのです。お嬢さんに対して、肉の方面から近づく念の萌きざさなかった私は、その時入いらぬ
心配だと思いました。しかし奥さんを悪く思う気はそれからなくなりました。

十五

「私は奥さんの態度を色々綜合そうごうして見て、私がここの家うちで充分信用されている事を確かめま
した。しかもその信用は初対面の時からあったのだという証拠さえ発見しました。他ひとを疑うたぐり始
めた私の胸には、この発見が少し奇異なくらいに響いたのです。私は男に比べると女の方がそれだけ直覚
に富んでいるのだろうと思いました。同時に、女が男のために、欺だまされるのもここにあるのではなか
ろうかと思いました。奥さんをそう観察する私が、お嬢さんに対して同じような直覚を強く働かせていた

100 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:09:20.48 ID:xGA19+n40.net

ずに口にするだけの勇気に乏しいものと私は見込んでいたのです。

三十五

「こんな訳で私わたくしはどちらの方面へ向っても進む事ができずに立ち竦すくんでいました。身体から
だの悪い時に午睡ひるねなどをすると、眼だけ覚さめて周囲のものが判然はっきり見えるのに、どうして
も手足の動かせない場合がありましょう。私は時としてああいう苦しみを人知れず感じたのです。
 その内うち年が暮れて春になりました。ある日奥さんがKに歌留多かるたをやるから誰だれか友達を連
れて来ないかといった事があります。するとKはすぐ友達なぞは一人もないと答えたので、奥さんは驚い
てしまいました。なるほどKに友達というほどの友達は一人もなかったのです。往来で会った時挨拶あい
さつをするくらいのものは多少ありましたが、それらだって決して歌留多かるたなどを取る柄がらではな
かったのです。奥さんはそれじゃ私の知ったものでも呼んで来たらどうかといい直しましたが、私も生憎
あいにくそんな陽気な遊びをする心持になれないので、好いい加減な生返事なまへんじをしたなり、打ち
やっておきました。ところが晩になってKと私はとうとうお嬢さんに引っ張り出されてしまいました。客
も誰も来ないのに、内々うちうちの小人数こにんずだけで取ろうという歌留多ですからすこぶる静かなも
のでした。その上こういう遊技をやり付けないKは、まるで懐手ふところでをしている人と同様でした。
私はKに一体百人一首ひゃくにんいっしゅの歌を知っているのかと尋ねました。Kはよく知らないと答え
ました。私の言葉を聞いたお嬢さんは、大方おおかたKを軽蔑けいべつするとでも取ったのでしょう。そ
れから眼に立つようにKの加勢をし出しました。しまいには二人がほとんど組になって私に当るという有
様になって来ました。私は相手次第では喧嘩けんかを始めたかも知れなかったのです。幸いにKの態度は
少しも最初と変りませんでした。彼のどこにも得意らしい様子を認めなかった私は、無事にその場を切り
上げる事ができました。
 それから二、三日経たった後のちの事でしたろう、奥さんとお嬢さんは朝から市ヶ谷にいる親類の所へ
行くといって宅うちを出ました。Kも私もまだ学校の始まらない頃ころでしたから、留守居同様あとに残
っていました。私は書物を読むのも散歩に出るのも厭いやだったので、ただ漠然と火鉢の縁ふちに肱ひじ
を載せて凝じっと顋あごを支えたなり考えていました。隣となりの室へやにいるKも一向いっこう音を立
てませんでした。双方ともいるのだかいないのだか分らないくらい静かでした。もっともこういう事は、
二人の間柄として別に珍しくも何ともなかったのですから、私は別段それを気にも留めませんでした。
 十時頃になって、Kは不意に仕切りの襖ふすまを開けて私と顔を見合みあわせました。彼は敷居の上に
立ったまま、私に何を考えていると聞きました。私はもとより何も考えていなかったのです。もし考えて
いたとすれば、いつもの通りお嬢さんが問題だったかも知れません。そのお嬢さんには無論奥さんも食っ
付いていますが、近頃ではK自身が切り離すべからざる人のように、私の頭の中をぐるぐる回めぐって、
この問題を複雑にしているのです。Kと顔を見合せた私は、今まで朧気おぼろげに彼を一種の邪魔ものの
如く意識していながら、明らかにそうと答える訳にいかなかったのです。私は依然として彼の顔を見て黙
っていました。するとKの方からつかつかと私の座敷へ入って来て、私のあたっている火鉢の前に坐すわ

145 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 11:06:54.39 ID:xGA19+n40.net

聞こえた。実際先生は時々昔の同級生で今著名になっている誰彼だれかれを捉とらえて、ひどく無遠慮な
批評を加える事があった。それで私は露骨にその矛盾を挙げて云々うんぬんしてみた。私の精神は反抗の
意味というよりも、世間が先生を知らないで平気でいるのが残念だったからである。その時先生は沈んだ
調子で、「どうしても私は世間に向かって働き掛ける資格のない男だから仕方がありません」といった。
先生の顔には深い一種の表情がありありと刻まれた。私にはそれが失望だか、不平だか、悲哀だか、解わ
からなかったけれども、何しろ二の句の継げないほどに強いものだったので、私はそれぎり何もいう勇気
が出なかった。
 私が奥さんと話している間に、問題が自然先生の事からそこへ落ちて来た。
「先生はなぜああやって、宅で考えたり勉強したりなさるだけで、世の中へ出て仕事をなさらないんでし
ょう」
「あの人は駄目だめですよ。そういう事が嫌いなんですから」
「つまり下くだらない事だと悟っていらっしゃるんでしょうか」
「悟るの悟らないのって、――そりゃ女だからわたくしには解りませんけれど、おそらくそんな意味じゃ
ないでしょう。やっぱり何かやりたいのでしょう。それでいてできないんです。だから気の毒ですわ」
「しかし先生は健康からいって、別にどこも悪いところはないようじゃありませんか」
「丈夫ですとも。何にも持病はありません」
「それでなぜ活動ができないんでしょう」
「それが解わからないのよ、あなた。それが解るくらいなら私だって、こんなに心配しやしません。わか
らないから気の毒でたまらないんです」
 奥さんの語気には非常に同情があった。それでも口元だけには微笑が見えた。外側からいえば、私の方
がむしろ真面目まじめだった。私はむずかしい顔をして黙っていた。すると奥さんが急に思い出したよう
にまた口を開いた。
「若い時はあんな人じゃなかったんですよ。若い時はまるで違っていました。それが全く変ってしまった
んです」
「若い時っていつ頃ですか」と私が聞いた。
「書生時代よ」
「書生時代から先生を知っていらっしゃったんですか」
 奥さんは急に薄赤い顔をした。

十二

 奥さんは東京の人であった。それはかつて先生からも奥さん自身からも聞いて知っていた。奥さんは「
本当いうと合あいの子こなんですよ」といった。奥さんの父親はたしか鳥取とっとりかどこかの出である
のに、お母さんの方はまだ江戸といった時分じぶんの市ヶ谷いちがやで生れた女なので、奥さんは冗談半
分そういったのである。ところが先生は全く方角違いの新潟にいがた県人であった。だから奥さんがもし
先生の書生時代を知っているとすれば、郷里の関係からでない事は明らかであった。しかし薄赤い顔をし
た奥さんはそれより以上の話をしたくないようだったので、私の方でも深くは聞かずにおいた。
 先生と知り合いになってから先生の亡くなるまでに、私はずいぶん色々の問題で先生の思想や情操に触
れてみたが、結婚当時の状況については、ほとんど何ものも聞き得なかった。私は時によると、それを善
意に解釈してもみた。年輩の先生の事だから、艶なまめかしい回想などを若いものに聞かせるのはわざと
慎つつしんでいるのだろうと思った。時によると、またそれを悪くも取った。先生に限らず、奥さんに限
らず、二人とも私に比べると、一時代前の因襲のうちに成人したために、そういう艶つやっぽい問題にな

118 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:12:56.59 ID:xGA19+n40.net

でした。
 私は黙って二人の傍そばに坐っていました。奥さんは私にも線香を上げてやれといいます。私は線香を
上げてまた黙って坐っていました。お嬢さんは私には何ともいいません。たまに奥さんと一口ひとくち二
口ふたくち言葉を換かわす事がありましたが、それは当座の用事についてのみでした。お嬢さんにはKの
生前について語るほどの余裕がまだ出て来なかったのです。私はそれでも昨夜ゆうべの物凄ものすごい有
様を見せずに済んでまだよかったと心のうちで思いました。若い美しい人に恐ろしいものを見せると、折
角せっかくの美しさが、そのために破壊されてしまいそうで私は怖こわかったのです。私の恐ろしさが私
の髪の毛の末端まで来た時ですら、私はその考えを度外に置いて行動する事はできませんでした。私には
綺麗きれいな花を罪もないのに妄みだりに鞭むちうつと同じような不快がそのうちに籠こもっていたので
す。
 国元からKの父と兄が出て来た時、私はKの遺骨をどこへ埋うめるかについて自分の意見を述べました
。私は彼の生前に雑司ヶ谷ぞうしがや近辺をよくいっしょに散歩した事があります。Kにはそこが大変気
に入っていたのです。それで私は笑談じょうだん半分はんぶんに、そんなに好きなら死んだらここへ埋め
てやろうと約束した覚えがあるのです。私も今その約束通りKを雑司ヶ谷へ葬ほうむったところで、どの
くらいの功徳くどくになるものかとは思いました。けれども私は私の生きている限り、Kの墓の前に跪ひ
ざまずいて月々私の懺悔ざんげを新たにしたかったのです。今まで構い付けなかったKを、私が万事世話
をして来たという義理もあったのでしょう、Kの父も兄も私のいう事を聞いてくれました。

五十一

「Kの葬式の帰り路みちに、私はその友人の一人から、Kがどうして自殺したのだろうという質問を受け
ました。事件があって以来私はもう何度となくこの質問で苦しめられていたのです。奥さんもお嬢さんも
、国から出て来たKの父兄も、通知を出した知り合いも、彼とは何の縁故もない新聞記者までも、必ず同
様の質問を私に掛けない事はなかったのです。私の良心はそのたびにちくちく刺されるように痛みました
。そうして私はこの質問の裏に、早くお前が殺したと白状してしまえという声を聞いたのです。
 私の答えは誰に対しても同じでした。私はただ彼の私宛あてで書き残した手紙を繰り返すだけで、外ほ
かに一口ひとくちも附け加える事はしませんでした。葬式の帰りに同じ問いを掛けて、同じ答えを得たK
の友人は、懐ふところから一枚の新聞を出して私に見せました。私は歩きながらその友人によって指し示
された箇所を読みました。それにはKが父兄から勘当された結果厭世的えんせいてきな考えを起して自殺
したと書いてあるのです。私は何にもいわずに、その新聞を畳たたんで友人の手に帰しました。友人はこ
の外ほかにもKが気が狂って自殺したと書いた新聞があるといって教えてくれました。忙しいので、ほと
んど新聞を読む暇がなかった私は、まるでそうした方面の知識を欠いていましたが、腹の中では始終気に
かかっていたところでした。私は何よりも宅うちのものの迷惑になるような記事の出るのを恐れたのです
。ことに名前だけにせよお嬢さんが引合いに出たら堪たまらないと思っていたのです。私はその友人に外
ほかに何とか書いたのはないかと聞きました。友人は自分の眼に着いたのは、ただその二種ぎりだと答え

65 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:02:19.98 ID:xGA19+n40.net

と父はその時わざわざ私の顔を見たのです。だから私はまだそれを忘れずにいます。このくらい私の父か
ら信用されたり、褒ほめられたりしていた叔父を、私がどうして疑う事ができるでしょう。私にはただで
さえ誇りになるべき叔父でした。父や母が亡くなって、万事その人の世話にならなければならない私には
、もう単なる誇りではなかったのです。私の存在に必要な人間になっていたのです。

「私が夏休みを利用して始めて国へ帰った時、両親の死に断えた私の住居すまいには、新しい主人として
、叔父夫婦が入れ代って住んでいました。これは私が東京へ出る前からの約束でした。たった一人取り残
された私が家にいない以上、そうでもするより外ほかに仕方がなかったのです。
 叔父はその頃ころ市にある色々な会社に関係していたようです。業務の都合からいえば、今までの居宅
きょたくに寝起ねおきする方が、二里りも隔へだたった私の家に移るより遥かに便利だといって笑いまし
た。これは私の父母が亡くなった後あと、どう邸やしきを始末して、私が東京へ出るかという相談の時、
叔父の口を洩もれた言葉であります。私の家は旧ふるい歴史をもっているので、少しはその界隈かいわい
で人に知られていました。あなたの郷里でも同じ事だろうと思いますが、田舎では由緒ゆいしょのある家
を、相続人があるのに壊こわしたり売ったりするのは大事件です。今の私ならそのくらいの事は何とも思
いませんが、その頃はまだ子供でしたから、東京へは出たし、家うちはそのままにして置かなければなら
ず、はなはだ所置しょちに苦しんだのです。
 叔父おじは仕方なしに私の空家あきやへはいる事を承諾してくれました。しかし市しの方にある住居す
まいもそのままにしておいて、両方の間を往いったり来たりする便宜を与えてもらわなければ困るといい
ました。私に[#「私に」は底本では「私は」]固もとより異議のありようはずがありません。私はどん
な条件でも東京へ出られれば好いいくらいに考えていたのです。
 子供らしい私は、故郷ふるさとを離れても、まだ心の眼で、懐かしげに故郷の家を望んでいました。固
よりそこにはまだ自分の帰るべき家があるという旅人たびびとの心で望んでいたのです。休みが来れば帰
らなくてはならないという気分は、いくら東京を恋しがって出て来た私にも、力強くあったのです。私は
熱心に勉強し、愉快に遊んだ後あと、休みには帰れると思うその故郷の家をよく夢に見ました。
 私の留守の間、叔父はどんな風ふうに両方の間を往ゆき来していたか知りません。私の着いた時は、家
族のものが、みんな一ひとつ家いえの内に集まっていました。学校へ出る子供などは平生へいぜいおそら
く市の方にいたのでしょうが、これも休暇のために田舎いなかへ遊び半分といった格かくで引き取られて
いました。
 みんな私の顔を見て喜びました。私はまた父や母のいた時より、かえって賑にぎやかで陽気になった家
の様子を見て嬉うれしがりました。叔父はもと私の部屋になっていた一間ひとまを占領している一番目の
男の子を追い出して、私をそこへ入れました。座敷の数かずも少なくないのだから、私はほかの部屋で構
わないと辞退したのですけれども、叔父はお前の宅うちだからといって、聞きませんでした。
 私は折々亡くなった父や母の事を思い出す外ほかに、何の不愉快もなく、その一夏ひとなつを叔父の家
族と共に過ごして、また東京へ帰ったのです。ただ一つその夏の出来事として、私の心にむしろ薄暗い影

102 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:09:44.40 ID:xGA19+n40.net

を聞いていながら、半分どうしようどうしようという念に絶えず掻かき乱されていましたから、細こまか
い点になるとほとんど耳へ入らないと同様でしたが、それでも彼の口に出す言葉の調子だけは強く胸に響
きました。そのために私は前いった苦痛ばかりでなく、ときには一種の恐ろしさを感ずるようになったの
です。つまり相手は自分より強いのだという恐怖の念が萌きざし始めたのです。
 Kの話が一通り済んだ時、私は何ともいう事ができませんでした。こっちも彼の前に同じ意味の自白を
したものだろうか、それとも打ち明けずにいる方が得策だろうか、私はそんな利害を考えて黙っていたの
ではありません。ただ何事もいえなかったのです。またいう気にもならなかったのです。
 午食ひるめしの時、Kと私は向い合せに席を占めました。下女げじょに給仕をしてもらって、私はいつ
にない不味まずい飯めしを済ませました。二人は食事中もほとんど口を利ききませんでした。奥さんとお
嬢さんはいつ帰るのだか分りませんでした。

三十七

「二人は各自めいめいの室へやに引き取ったぎり顔を合わせませんでした。Kの静かな事は朝と同じでし
た。私わたくしも凝じっと考え込んでいました。
 私は当然自分の心をKに打ち明けるべきはずだと思いました。しかしそれにはもう時機が後おくれてし
まったという気も起りました。なぜ先刻さっきKの言葉を遮さえぎって、こっちから逆襲しなかったのか
、そこが非常な手落てぬかりのように見えて来ました。せめてKの後あとに続いて、自分は自分の思う通
りをその場で話してしまったら、まだ好かったろうにとも考えました。Kの自白に一段落が付いた今とな
って、こっちからまた同じ事を切り出すのは、どう思案しても変でした。私はこの不自然に打ち勝つ方法
を知らなかったのです。私の頭は悔恨に揺ゆられてぐらぐらしました。
 私はKが再び仕切しきりの襖ふすまを開あけて向うから突進してきてくれれば好いいと思いました。私
にいわせれば、先刻はまるで不意撃ふいうちに会ったも同じでした。私にはKに応ずる準備も何もなかっ
たのです。私は午前に失ったものを、今度は取り戻そうという下心したごころを持っていました。それで
時々眼を上げて、襖を眺ながめました。しかしその襖はいつまで経たっても開あきません。そうしてKは
永久に静かなのです。
 その内うち私の頭は段々この静かさに掻かき乱されるようになって来ました。Kは今襖の向うで何を考
えているだろうと思うと、それが気になって堪たまらないのです。不断もこんな風ふうにお互いが仕切一
枚を間に置いて黙り合っている場合は始終あったのですが、私はKが静かであればあるほど、彼の存在を
忘れるのが普通の状態だったのですから、その時の私はよほど調子が狂っていたものと見なければなりま
せん。それでいて私はこっちから進んで襖を開ける事ができなかったのです。一旦いったんいいそびれた
私は、また向うから働き掛けられる時機を待つより外ほかに仕方がなかったのです。
 しまいに私は凝じっとしておられなくなりました。無理に凝としていれば、Kの部屋へ飛び込みたくな
るのです。私は仕方なしに立って縁側へ出ました。そこから茶の間へ来て、何という目的もなく、鉄瓶て
つびんの湯を湯呑ゆのみに注ついで一杯呑みました。それから玄関へ出ました。私はわざとKの室を回避
するようにして、こんな風に自分を往来の真中に見出みいだしたのです。私には無論どこへ行くという的

17 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 09:52:31.40 ID:xGA19+n40.net

す」
「私には二つのものが全く性質を異ことにしているように思われます」
「いや同じです。私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なのです。それから、ある特
別の事情があって、なおさらあなたに満足を与えられないでいるのです。私は実際お気の毒に思っていま
す。あなたが私からよそへ動いて行くのは仕方がない。私はむしろそれを希望しているのです。しかし…
…」
 私は変に悲しくなった。
「私が先生から離れて行くようにお思いになれば仕方がありませんが、私にそんな気の起った事はまだあ
りません」
 先生は私の言葉に耳を貸さなかった。
「しかし気を付けないといけない。恋は罪悪なんだから。私の所では満足が得られない代りに危険もない
が、――君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか」
 私は想像で知っていた。しかし事実としては知らなかった。いずれにしても先生のいう罪悪という意味
は朦朧もうろうとしてよく解わからなかった。その上私は少し不愉快になった。
「先生、罪悪という意味をもっと判然はっきりいって聞かして下さい。それでなければこの問題をここで
切り上げて下さい。私自身に罪悪という意味が判然解るまで」
「悪い事をした。私はあなたに真実まことを話している気でいた。ところが実際は、あなたを焦慮じらし
ていたのだ。私は悪い事をした」
 先生と私とは博物館の裏から鶯渓うぐいすだにの方角に静かな歩調で歩いて行った。垣の隙間すきまか
ら広い庭の一部に茂る熊笹くまざさが幽邃ゆうすいに見えた。
「君は私がなぜ毎月まいげつ雑司ヶ谷ぞうしがやの墓地に埋うまっている友人の墓へ参るのか知っていま
すか」
 先生のこの問いは全く突然であった。しかも先生は私がこの問いに対して答えられないという事もよく
承知していた。私はしばらく返事をしなかった。すると先生は始めて気が付いたようにこういった。
「また悪い事をいった。焦慮じらせるのが悪いと思って、説明しようとすると、その説明がまたあなたを
焦慮せるような結果になる。どうも仕方がない。この問題はこれで止やめましょう。とにかく恋は罪悪で
すよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ」
 私には先生の話がますます解わからなくなった。しかし先生はそれぎり恋を口にしなかった。

十四

 年の若い私わたくしはややともすると一図いちずになりやすかった。少なくとも先生の眼にはそう映っ
ていたらしい。私には学校の講義よりも先生の談話の方が有益なのであった。教授の意見よりも先生の思
想の方が有難いのであった。とどの詰まりをいえば、教壇に立って私を指導してくれる偉い人々よりもた
だ独ひとりを守って多くを語らない先生の方が偉く見えたのであった。
「あんまり逆上のぼせちゃいけません」と先生がいった。
「覚さめた結果としてそう思うんです」と答えた時の私には充分の自信があった。その自信を先生は肯う
けがってくれなかった。
「あなたは熱に浮かされているのです。熱がさめると厭いやになります。私は今のあなたからそれほどに
思われるのを、苦しく感じています。しかしこれから先のあなたに起るべき変化を予想して見ると、なお
苦しくなります」
「私はそれほど軽薄に思われているんですか。それほど不信用なんですか」
「私はお気の毒に思うのです」
「気の毒だが信用されないとおっしゃるんですか」
 先生は迷惑そうに庭の方を向いた。その庭に、この間まで重そうな赤い強い色をぽたぽた点じていた椿

51 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 09:59:31.82 ID:xGA19+n40.net

、町の病院から看護婦を一人頼む事にした。父は枕元まくらもとへ来て挨拶あいさつする白い服を着た女
を見て変な顔をした。
 父は死病に罹かかっている事をとうから自覚していた。それでいて、眼前にせまりつつある死そのもの
には気が付かなかった。
「今に癒なおったらもう一返いっぺん東京へ遊びに行ってみよう。人間はいつ死ぬか分らないからな。何
でもやりたい事は、生きてるうちにやっておくに限る」
 母は仕方なしに「その時は私もいっしょに伴つれて行って頂きましょう」などと調子を合せていた。
 時とするとまた非常に淋さみしがった。
「おれが死んだら、どうかお母さんを大事にしてやってくれ」
 私はこの「おれが死んだら」という言葉に一種の記憶をもっていた。東京を立つ時、先生が奥さんに向
かって何遍なんべんもそれを繰り返したのは、私が卒業した日の晩の事であった。私は笑わらいを帯びた
先生の顔と、縁喜えんぎでもないと耳を塞ふさいだ奥さんの様子とを憶おもい出した。あの時の「おれが
死んだら」は単純な仮定であった。今私が聞くのはいつ起るか分らない事実であった。私は先生に対する
奥さんの態度を学ぶ事ができなかった。しかし口の先では何とか父を紛らさなければならなかった。
「そんな弱い事をおっしゃっちゃいけませんよ。今に癒なおったら東京へ遊びにいらっしゃるはずじゃあ
りませんか。お母さんといっしょに。今度いらっしゃるときっと吃驚びっくりしますよ、変っているんで
。電車の新しい線路だけでも大変増ふえていますからね。電車が通るようになれば自然町並まちなみも変
るし、その上に市区改正もあるし、東京が凝じっとしている時は、まあ二六時中にろくじちゅう一分もな
いといっていいくらいです」
 私は仕方がないからいわないでいい事まで喋舌しゃべった。父はまた、満足らしくそれを聞いていた。
 病人があるので自然家いえの出入りも多くなった。近所にいる親類などは、二日に一人ぐらいの割で代
る代る見舞に来た。中には比較的遠くにいて平生へいぜい疎遠なものもあった。「どうかと思ったら、こ
の様子じゃ大丈夫だ。話も自由だし、だいち顔がちっとも瘠やせていないじゃないか」などといって帰る
ものがあった。私の帰った当時はひっそりし過ぎるほど静かであった家庭が、こんな事で段々ざわざわし
始めた。
 その中に動かずにいる父の病気は、ただ面白くない方へ移って行くばかりであった。私は母や伯父おじ
と相談して、とうとう兄と妹いもとに電報を打った。兄からはすぐ行くという返事が来た。妹の夫からも
立つという報知しらせがあった。妹はこの前懐妊かいにんした時に流産したので、今度こそは癖にならな
いように大事を取らせるつもりだと、かねていい越したその夫は、妹の代りに自分で出て来るかも知れな
かった。

十一

 こうした落ち付きのない間にも、私わたくしはまだ静かに坐すわる余裕をもっていた。偶たまには書物
を開けて十頁ページもつづけざまに読む時間さえ出て来た。一旦いったん堅く括くくられた私の行李こう
りは、いつの間にか解かれてしまった。私は要いるに任せて、その中から色々なものを取り出した。私は
東京を立つ時、心のうちで極きめた、この夏中の日課を顧みた。私のやった事はこの日課の三さんが一い
ちにも足らなかった。私は今までもこういう不愉快を何度となく重ねて来た。しかしこの夏ほど思った通
り仕事の運ばない例ためしも少なかった。これが人の世の常だろうと思いながらも私は厭いやな気持に抑

148 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 11:07:30.43 ID:xGA19+n40.net

つばきの花はもう一つも見えなかった。先生は座敷からこの椿の花をよく眺ながめる癖があった。
「信用しないって、特にあなたを信用しないんじゃない。人間全体を信用しないんです」
 その時生垣いけがきの向うで金魚売りらしい声がした。その外ほかには何の聞こえるものもなかった。
大通りから二丁ちょうも深く折れ込んだ小路こうじは存外ぞんがい静かであった。家うちの中はいつもの
通りひっそりしていた。私は次の間まに奥さんのいる事を知っていた。黙って針仕事か何かしている奥さ
んの耳に私の話し声が聞こえるという事も知っていた。しかし私は全くそれを忘れてしまった。
「じゃ奥さんも信用なさらないんですか」と先生に聞いた。
 先生は少し不安な顔をした。そうして直接の答えを避けた。
「私は私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用できないから、人も信用できないよう
になっているのです。自分を呪のろうより外ほかに仕方がないのです」
「そうむずかしく考えれば、誰だって確かなものはないでしょう」
「いや考えたんじゃない。やったんです。やった後で驚いたんです。そうして非常に怖こわくなったんで
す」
 私はもう少し先まで同じ道を辿たどって行きたかった。すると襖ふすまの陰で「あなた、あなた」とい
う奥さんの声が二度聞こえた。先生は二度目に「何だい」といった。奥さんは「ちょっと」と先生を次の
間まへ呼んだ。二人の間にどんな用事が起ったのか、私には解わからなかった。それを想像する余裕を与
えないほど早く先生はまた座敷へ帰って来た。
「とにかくあまり私を信用してはいけませんよ。今に後悔するから。そうして自分が欺あざむかれた返報
に、残酷な復讐ふくしゅうをするようになるものだから」
「そりゃどういう意味ですか」
「かつてはその人の膝ひざの前に跪ひざまずいたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載のせさせ
ようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥しりぞけたいと思うのです。私は今
より一層淋さびしい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己おの
れとに充みちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょ
う」
 私はこういう覚悟をもっている先生に対して、いうべき言葉を知らなかった。

十五

 その後ご私わたくしは奥さんの顔を見るたびに気になった。先生は奥さんに対しても始終こういう態度
に出るのだろうか。もしそうだとすれば、奥さんはそれで満足なのだろうか。
 奥さんの様子は満足とも不満足とも極きめようがなかった。私はそれほど近く奥さんに接触する機会が
なかったから。それから奥さんは私に会うたびに尋常であったから。最後に先生のいる席でなければ私と
奥さんとは滅多めったに顔を合せなかったから。
 私の疑惑はまだその上にもあった。先生の人間に対するこの覚悟はどこから来るのだろうか。ただ冷た
い眼で自分を内省したり現代を観察したりした結果なのだろうか。先生は坐すわって考える質たちの人で
あった。先生の頭さえあれば、こういう態度は坐って世の中を考えていても自然と出て来るものだろうか
。私にはそうばかりとは思えなかった。先生の覚悟は生きた覚悟らしかった。火に焼けて冷却し切った石
造せきぞう家屋の輪廓りんかくとは違っていた。私の眼に映ずる先生はたしかに思想家であった。けれど

166 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 11:11:06.59 ID:xGA19+n40.net

「頭が鈍くて要領を得ないのは構いませんが、ちゃんと解わかってるくせに、はっきりいってくれないの
は困ります」
「私は何にも隠してやしません」
「隠していらっしゃいます」
「あなたは私の思想とか意見とかいうものと、私の過去とを、ごちゃごちゃに考えているんじゃありませ
んか。私は貧弱な思想家ですけれども、自分の頭で纏まとめ上げた考えをむやみに人に隠しやしません。
隠す必要がないんだから。けれども私の過去を悉ことごとくあなたの前に物語らなくてはならないとなる
と、それはまた別問題になります」
「別問題とは思われません。先生の過去が生み出した思想だから、私は重きを置くのです。二つのものを
切り離したら、私にはほとんど価値のないものになります。私は魂の吹き込まれていない人形を与えられ
ただけで、満足はできないのです」
 先生はあきれたといった風ふうに、私の顔を見た。巻烟草まきタバコを持っていたその手が少し顫ふる
えた。
「あなたは大胆だ」
「ただ真面目まじめなんです。真面目に人生から教訓を受けたいのです」
「私の過去を訐あばいてもですか」
 訐くという言葉が、突然恐ろしい響ひびきをもって、私の耳を打った。私は今私の前に坐すわっている
のが、一人の罪人ざいにんであって、不断から尊敬している先生でないような気がした。先生の顔は蒼あ
おかった。
「あなたは本当に真面目なんですか」と先生が念を押した。「私は過去の因果いんがで、人を疑うたぐり
つけている。だから実はあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るに
はあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬ前にたった一人で好いいから、他ひとを信用して死にたいと思っ
ている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか

「もし私の命が真面目なものなら、私の今いった事も真面目です」
 私の声は顫えた。
「よろしい」と先生がいった。「話しましょう。私の過去を残らず、あなたに話して上げましょう。その
代り……。いやそれは構わない。しかし私の過去はあなたに取ってそれほど有益でないかも知れませんよ
。聞かない方が増ましかも知れませんよ。それから、――今は話せないんだから、そのつもりでいて下さ
い。適当の時機が来なくっちゃ話さないんだから」
 私は下宿へ帰ってからも一種の圧迫を感じた。

三十二

 私の論文は自分が評価していたほどに、教授の眼にはよく見えなかったらしい。それでも私は予定通り
及第した。卒業式の日、私は黴臭かびくさくなった古い冬服を行李こうりの中から出して着た。式場にな
らぶと、どれもこれもみな暑そうな顔ばかりであった。私は風の通らない厚羅紗あつラシャの下に密封さ
れた自分の身体からだを持て余した。しばらく立っているうちに手に持ったハンケチがぐしょぐしょにな
った。
 私は式が済むとすぐ帰って裸体はだかになった。下宿の二階の窓をあけて、遠眼鏡とおめがねのように
ぐるぐる巻いた卒業証書の穴から、見えるだけの世の中を見渡した。それからその卒業証書を机の上に放
り出した。そうして大の字なりになって、室へやの真中に寝そべった。私は寝ながら自分の過去を顧みた
。また自分の未来を想像した。するとその間に立って一区切りを付けているこの卒業証書なるものが、意
味のあるような、また意味のないような変な紙に思われた。

115 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:12:20.62 ID:xGA19+n40.net

の方が遥はるかに立派に見えました。「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ」という感じが私
の胸に渦巻いて起りました。私はその時さぞKが軽蔑けいべつしている事だろうと思って、一人で顔を赧
あからめました。しかし今更Kの前に出て、恥を掻かかせられるのは、私の自尊心にとって大いな苦痛で
した。
 私が進もうか止よそうかと考えて、ともかくも翌日あくるひまで待とうと決心したのは土曜の晩でした
。ところがその晩に、Kは自殺して死んでしまったのです。私は今でもその光景を思い出すと慄然ぞっと
します。いつも東枕ひがしまくらで寝る私が、その晩に限って、偶然西枕に床とこを敷いたのも、何かの
因縁いんねんかも知れません。私は枕元から吹き込む寒い風でふと眼を覚ましたのです。見ると、いつも
立て切ってあるKと私の室へやとの仕切しきりの襖ふすまが、この間の晩と同じくらい開あいています。
けれどもこの間のように、Kの黒い姿はそこには立っていません。私は暗示を受けた人のように、床の上
に肱ひじを突いて起き上がりながら、屹きっとKの室を覗のぞきました。洋燈ランプが暗く点ともってい
るのです。それで床も敷いてあるのです。しかし掛蒲団かけぶとんは跳返はねかえされたように裾すその
方に重なり合っているのです。そうしてK自身は向うむきに突つッ伏ぷしているのです。
 私はおいといって声を掛けました。しかし何の答えもありません。おいどうかしたのかと私はまたKを
呼びました。それでもKの身体からだは些ちっとも動きません。私はすぐ起き上って、敷居際しきいぎわ
まで行きました。そこから彼の室の様子を、暗い洋燈ランプの光で見廻みまわしてみました。
 その時私の受けた第一の感じは、Kから突然恋の自白を聞かされた時のそれとほぼ同じでした。私の眼
は彼の室の中を一目ひとめ見るや否いなや、あたかも硝子ガラスで作った義眼のように、動く能力を失い
ました。私は棒立ぼうだちに立たち竦すくみました。それが疾風しっぷうのごとく私を通過したあとで、
私はまたああ失策しまったと思いました。もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、
一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄ものすごく照らしました。そうして私はがたがた顫ふるえ出した
のです。
 それでも私はついに私を忘れる事ができませんでした。私はすぐ机の上に置いてある手紙に眼を着けま
した。それは予期通り私の名宛なあてになっていました。私は夢中で封を切りました。しかし中には私の
予期したような事は何にも書いてありませんでした。私は私に取ってどんなに辛つらい文句がその中に書
き列つらねてあるだろうと予期したのです。そうして、もしそれが奥さんやお嬢さんの眼に触れたら、ど
んなに軽蔑されるかも知れないという恐怖があったのです。私はちょっと眼を通しただけで、まず助かっ
たと思いました。(固もとより世間体せけんていの上だけで助かったのですが、その世間体がこの場合、
私にとっては非常な重大事件に見えたのです。)
 手紙の内容は簡単でした。そうしてむしろ抽象的でした。自分は薄志弱行はくしじゃっこうで到底行先
ゆくさきの望みがないから、自殺するというだけなのです。それから今まで私に世話になった礼が、ごく
あっさりとした文句でその後あとに付け加えてありました。世話ついでに死後の片付方かたづけかたも頼
みたいという言葉もありました。奥さんに迷惑を掛けて済まんから宜よろしく詫わびをしてくれという句

73 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:03:56.09 ID:xGA19+n40.net

の手に折れ曲がった筋違すじかいの室へやに運び去られるのです。私は自分の居間で机の上に頬杖ほおづ
えを突きながら、その琴の音ねを聞いていました。私にはその琴が上手なのか下手なのかよく解わからな
いのです。けれども余り込み入った手を弾ひかないところを見ると、上手なのじゃなかろうと考えました
。まあ活花の程度ぐらいなものだろうと思いました。花なら私にも好く分るのですが、お嬢さんは決して
旨うまい方ではなかったのです。
 それでも臆面おくめんなく色々の花が私の床を飾ってくれました。もっとも活方いけかたはいつ見ても
同じ事でした。それから花瓶かへいもついぞ変った例ためしがありませんでした。しかし片方の音楽にな
ると花よりももっと変でした。ぽつんぽつん糸を鳴らすだけで、一向いっこう肉声を聞かせないのです。
唄うたわないのではありませんが、まるで内所話ないしょばなしでもするように小さな声しか出さないの
です。しかも叱しかられると全く出なくなるのです。
 私は喜んでこの下手な活花を眺ながめては、まずそうな琴の音ねに耳を傾けました。

十二

「私の気分は国を立つ時すでに厭世的えんせいてきになっていました。他ひとは頼りにならないものだと
いう観念が、その時骨の中まで染しみ込んでしまったように思われたのです。私は私の敵視する叔父おじ
だの叔母おばだの、その他たの親戚しんせきだのを、あたかも人類の代表者のごとく考え出しました。汽
車へ乗ってさえ隣のものの様子を、それとなく注意し始めました。たまに向うから話し掛けられでもする
と、なおの事警戒を加えたくなりました。私の心は沈鬱ちんうつでした。鉛を呑のんだように重苦しくな
る事が時々ありました。それでいて私の神経は、今いったごとくに鋭く尖とがってしまったのです。
 私が東京へ来て下宿を出ようとしたのも、これが大きな源因げんいんになっているように思われます。
金に不自由がなければこそ、一戸を構えてみる気にもなったのだといえばそれまでですが、元の通りの私
ならば、たとい懐中ふところに余裕ができても、好んでそんな面倒な真似まねはしなかったでしょう。
 私は小石川こいしかわへ引き移ってからも、当分この緊張した気分に寛くつろぎを与える事ができませ
んでした。私は自分で自分が恥ずかしいほど、きょときょと周囲を見廻みまわしていました。不思議にも
よく働くのは頭と眼だけで、口の方はそれと反対に、段々動かなくなって来ました。私は家うちのものの
様子を猫のようによく観察しながら、黙って机の前に坐すわっていました。時々は彼らに対して気の毒だ
と思うほど、私は油断のない注意を彼らの上に注そそいでいたのです。おれは物を偸ぬすまない巾着切き
んちゃくきりみたようなものだ、私はこう考えて、自分が厭いやになる事さえあったのです。
 あなたは定さだめて変に思うでしょう。その私がそこのお嬢じょうさんをどうして好すく余裕をもって
いるか。そのお嬢さんの下手な活花いけばなを、どうして嬉うれしがって眺ながめる余裕があるか。同じ
く下手なその人の琴をどうして喜んで聞く余裕があるか。そう質問された時、私はただ両方とも事実であ
ったのだから、事実としてあなたに教えて上げるというより外ほかに仕方がないのです。解釈は頭のある
あなたに任せるとして、私はただ一言いちごん付け足しておきましょう。私は金に対して人類を疑うたぐ
ったけれども、愛に対しては、まだ人類を疑わなかったのです。だから他ひとから見ると変なものでも、

89 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:07:08.28 ID:xGA19+n40.net

なってゆかない以上は、何の役にも立たないという事を発見したのです。私は彼を人間らしくする第一の
手段として、まず異性の傍そばに彼を坐すわらせる方法を講じたのです。そうしてそこから出る空気に彼
を曝さらした上、錆さび付きかかった彼の血液を新しくしようと試みたのです。
 この試みは次第に成功しました。初めのうち融合しにくいように見えたものが、段々一つに纏まとまっ
て来出きだしました。彼は自分以外に世界のある事を少しずつ悟ってゆくようでした。彼はある日私に向
って、女はそう軽蔑けいべつすべきものでないというような事をいいました。Kははじめ女からも、私同
様の知識と学問を要求していたらしいのです。そうしてそれが見付からないと、すぐ軽蔑の念を生じたも
のと思われます。今までの彼は、性によって立場を変える事を知らずに、同じ視線ですべての男女なんに
ょを一様に観察していたのです。私は彼に、もし我ら二人だけが男同志で永久に話を交換しているならば
、二人はただ直線的に先へ延びて行くに過ぎないだろうといいました。彼はもっともだと答えました。私
はその時お嬢さんの事で、多少夢中になっている頃ころでしたから、自然そんな言葉も使うようになった
のでしょう。しかし裏面の消息は彼には一口ひとくちも打ち明けませんでした。
 今まで書物で城壁をきずいてその中に立て籠こもっていたようなKの心が、段々打ち解けて来るのを見
ているのは、私に取って何よりも愉快でした。私は最初からそうした目的で事をやり出したのですから、
自分の成功に伴う喜悦を感ぜずにはいられなかったのです。私は本人にいわない代りに、奥さんとお嬢さ
んに自分の思った通りを話しました。二人も満足の様子でした。

二十六

「Kと私わたくしは同じ科におりながら、専攻の学問が違っていましたから、自然出る時や帰る時に遅速
がありました。私の方が早ければ、ただ彼の空室くうしつを通り抜けるだけですが、遅いと簡単な挨拶あ
いさつをして自分の部屋へはいるのを例にしていました。Kはいつもの眼を書物からはなして、襖ふすま
を開ける私をちょっと見ます。そうしてきっと今帰ったのかといいます。私は何も答えないで点頭うなず
く事もありますし、あるいはただ「うん」と答えて行き過ぎる場合もあります。
 ある日私は神田かんだに用があって、帰りがいつもよりずっと後おくれました。私は急ぎ足に門前まで
来て、格子こうしをがらりと開けました。それと同時に、私はお嬢さんの声を聞いたのです。声は慥たし
かにKの室へやから出たと思いました。玄関から真直まっすぐに行けば、茶の間、お嬢さんの部屋と二つ
続いていて、それを左へ折れると、Kの室、私の室、という間取まどりなのですから、どこで誰の声がし
たくらいは、久しく厄介やっかいになっている私にはよく分るのです。私はすぐ格子を締めました。する
とお嬢さんの声もすぐ已やみました。私が靴を脱いでいるうち、――私はその時分からハイカラで手数て
かずのかかる編上あみあげを穿はいていたのですが、――私がこごんでその靴紐くつひもを解いているう
ち、Kの部屋では誰の声もしませんでした。私は変に思いました。ことによると、私の疳違かんちがいか
も知れないと考えたのです。しかし私がいつもの通りKの室を抜けようとして、襖を開けると、そこに二
人はちゃんと坐すわっていました。Kは例の通り今帰ったかといいました。お嬢さんも「お帰り」と坐っ

86 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:06:32.18 ID:xGA19+n40.net

す。Kの説を聞いていると、段々そういうところに釣り込まれて来るくらい、彼には力があったのですか
ら)。最後に私はKといっしょに住んで、いっしょに向上の路みちを辿たどって行きたいと発議ほつぎし
ました。私は彼の剛情を折り曲げるために、彼の前に跪ひざまずく事をあえてしたのです。そうして漸や
っとの事で彼を私の家に連れて来ました。

二十三

「私の座敷には控えの間まというような四畳が付属していました。玄関を上がって私のいる所へ通ろうと
するには、ぜひこの四畳を横切らなければならないのだから、実用の点から見ると、至極しごく不便な室
へやでした。私はここへKを入れたのです。もっとも最初は同じ八畳に二つ机を並べて、次の間を共有に
して置く考えだったのですが、Kは狭苦しくっても一人でいる方が好いいといって、自分でそっちのほう
を択えらんだのです。
 前にも話した通り、奥さんは私のこの所置に対して始めは不賛成だったのです。下宿屋ならば、一人よ
り二人が便利だし、二人より三人が得になるけれども、商売でないのだから、なるべくなら止よした方が
好いいというのです。私が決して世話の焼ける人でないから構うまいというと、世話は焼けないでも、気
心の知れない人は厭いやだと答えるのです。それでは今厄介やっかいになっている私だって同じ事ではな
いかと詰なじると、私の気心は初めからよく分っていると弁解して已やまないのです。私は苦笑しました
。すると奥さんはまた理屈の方向を更かえます。そんな人を連れて来るのは、私のために悪いから止よせ
といい直します。なぜ私のために悪いかと聞くと、今度は向うで苦笑するのです。
 実をいうと私だって強しいてKといっしょにいる必要はなかったのです。けれども月々の費用を金の形
で彼の前に並べて見せると、彼はきっとそれを受け取る時に躊躇ちゅうちょするだろうと思ったのです。
彼はそれほど独立心の強い男でした。だから私は彼を私の宅うちへ置いて、二人前ふたりまえの食料を彼
の知らない間まにそっと奥さんの手に渡そうとしたのです。しかし私はKの経済問題について、一言いち
ごんも奥さんに打ち明ける気はありませんでした。
 私はただKの健康について云々うんぬんしました。一人で置くとますます人間が偏屈へんくつになるば
かりだからといいました。それに付け足して、Kが養家ようかと折合おりあいの悪かった事や、実家と離
れてしまった事や、色々話して聞かせました。私は溺おぼれかかった人を抱いて、自分の熱を向うに移し
てやる覚悟で、Kを引き取るのだと告げました。そのつもりであたたかい面倒を見てやってくれと、奥さ
んにもお嬢さんにも頼みました。私はここまで来て漸々ようよう奥さんを説き伏せたのです。しかし私か
ら何にも聞かないKは、この顛末てんまつをまるで知らずにいました。私もかえってそれを満足に思って
、のっそり引き移って来たKを、知らん顔で迎えました。
 奥さんとお嬢さんは、親切に彼の荷物を片付ける世話や何なにかをしてくれました。すべてそれを私に
対する好意から来たのだと解釈した私は、心のうちで喜びました。――Kが相変らずむっちりした様子を
しているにもかかわらず。
 私がKに向って新しい住居すまいの心持はどうだと聞いた時に、彼はただ一言いちげん悪くないといっ
ただけでした。私からいわせれば悪くないどころではないのです。彼の今までいた所は北向きの湿っぽい
臭においのする汚い室へやでした。食物くいものも室相応そうおうに粗末でした。私の家へ引き移った彼

114 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:12:08.66 ID:xGA19+n40.net

自分で自分を認めている私には、それがまた至難の事のように感ぜられたのです。
 私は仕方がないから、奥さんに頼んでKに改めてそういってもらおうかと考えました。無論私のいない
時にです。しかしありのままを告げられては、直接と間接の区別があるだけで、面目めんぼくのないのに
変りはありません。といって、拵こしらえ事を話してもらおうとすれば、奥さんからその理由を詰問きつ
もんされるに極きまっています。もし奥さんにすべての事情を打ち明けて頼むとすれば、私は好んで自分
の弱点を自分の愛人とその母親の前に曝さらけ出さなければなりません。真面目まじめな私には、それが
私の未来の信用に関するとしか思われなかったのです。結婚する前から恋人の信用を失うのは、たとい一
分ぶ一厘りんでも、私には堪え切れない不幸のように見えました。
 要するに私は正直な路みちを歩くつもりで、つい足を滑らした馬鹿ものでした。もしくは狡猾こうかつ
な男でした。そうしてそこに気のついているものは、今のところただ天と私の心だけだったのです。しか
し立ち直って、もう一歩前へ踏み出そうとするには、今滑った事をぜひとも周囲の人に知られなければな
らない窮境きゅうきょうに陥おちいったのです。私はあくまで滑った事を隠したがりました。同時に、ど
うしても前へ出ずにはいられなかったのです。私はこの間に挟はさまってまた立たち竦すくみました。
 五、六日経たった後のち、奥さんは突然私に向って、Kにあの事を話したかと聞くのです。私はまだ話
さないと答えました。するとなぜ話さないのかと、奥さんが私を詰なじるのです。私はこの問いの前に固
くなりました。その時奥さんが私を驚かした言葉を、私は今でも忘れずに覚えています。
「道理で妾わたしが話したら変な顔をしていましたよ。あなたもよくないじゃありませんか。平生へいぜ
いあんなに親しくしている間柄だのに、黙って知らん顔をしているのは」
 私はKがその時何かいいはしなかったかと奥さんに聞きました。奥さんは別段何にもいわないと答えま
した。しかし私は進んでもっと細こまかい事を尋ねずにはいられませんでした。奥さんは固もとより何も
隠す訳がありません。大した話もないがといいながら、一々Kの様子を語って聞かせてくれました。
 奥さんのいうところを綜合そうごうして考えてみると、Kはこの最後の打撃を、最も落ち付いた驚きを
もって迎えたらしいのです。Kはお嬢さんと私との間に結ばれた新しい関係について、最初はそうですか
とただ一口ひとくちいっただけだったそうです。しかし奥さんが、「あなたも喜んで下さい」と述べた時
、彼ははじめて奥さんの顔を見て微笑を洩もらしながら、「おめでとうございます」といったまま席を立
ったそうです。そうして茶の間の障子しょうじを開ける前に、また奥さんを振り返って、「結婚はいつで
すか」と聞いたそうです。それから「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません
」といったそうです。奥さんの前に坐すわっていた私は、その話を聞いて胸が塞ふさがるような苦しさを
覚えました。

四十八

「勘定して見ると奥さんがKに話をしてからもう二日余りになります。その間Kは私に対して少しも以前
と異なった様子を見せなかったので、私は全くそれに気が付かずにいたのです。彼の超然とした態度はた
とい外観だけにもせよ、敬服に値あたいすべきだと私は考えました。彼と私を頭の中で並べてみると、彼

126 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:14:32.71 ID:xGA19+n40.net

て、栗を盗ぬすみにくる。ある日の夕方折戸おりどの蔭かげに隠かくれて、とうとう勘太郎を捕つらまえ
てやった。その時勘太郎は逃にげ路みちを失って、一生懸命いっしょうけんめいに飛びかかってきた。向
むこうは二つばかり年上である。弱虫だが力は強い。鉢はちの開いた頭を、こっちの胸へ宛あててぐいぐ
い押おした拍子ひょうしに、勘太郎の頭がすべって、おれの袷あわせの袖そでの中にはいった。邪魔じゃ
まになって手が使えぬから、無暗に手を振ふったら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左へぐらぐら靡なび
いた。しまいに苦しがって袖の中から、おれの二の腕うでへ食い付いた。痛かったから勘太郎を垣根へ押
しつけておいて、足搦あしがらをかけて向うへ倒たおしてやった。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い
。勘太郎は四つ目垣を半分崩くずして、自分の領分へ真逆様まっさかさまに落ちて、ぐうと云った。勘太
郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になった。その晩母が山城屋に詫わびに行っ
たついでに袷の片袖も取り返して来た。
 この外いたずらは大分やった。大工の兼公かねこうと肴屋さかなやの角かくをつれて、茂作もさくの人
参畠にんじんばたけをあらした事がある。人参の芽が出揃でそろわぬ処ところへ藁わらが一面に敷しいて
あったから、その上で三人が半日相撲すもうをとりつづけに取ったら、人参がみんな踏ふみつぶされてし
まった。古川ふるかわの持っている田圃たんぼの井戸いどを埋うめて尻しりを持ち込まれた事もある。太
い孟宗もうそうの節を抜いて、深く埋めた中から水が湧わき出て、そこいらの稲いねにみずがかかる仕掛
しかけであった。その時分はどんな仕掛か知らぬから、石や棒ぼうちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へ挿さ
し込んで、水が出なくなったのを見届けて、うちへ帰って飯を食っていたら、古川が真赤まっかになって
怒鳴どなり込んで来た。たしか罰金ばっきんを出して済んだようである。
 おやじはちっともおれを可愛かわいがってくれなかった。母は兄ばかり贔屓ひいきにしていた。この兄
はやに色が白くって、芝居しばいの真似まねをして女形おんながたになるのが好きだった。おれを見る度
にこいつはどうせ碌ろくなものにはならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母
が云った。なるほど碌なものにはならない。ご覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はな
い。ただ懲役ちょうえきに行かないで生きているばかりである。
 母が病気で死ぬ二三日にさんち前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨あばらぼねを撲うって大いに
痛かった。母が大層怒おこって、お前のようなものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊とまりに行っ
ていた。するととうとう死んだと云う報知しらせが来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病な
ら、もう少し大人おとなしくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、
おれのために、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜くやしかったから、兄の横っ面を張って大変
叱しかられた。
 母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮くらしていた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば
貴様は駄目だめだ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙みょうなおやじ
があったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ず
るいから、仲がよくなかった。十日に一遍いっぺんぐらいの割で喧嘩けんかをしていた。ある時将棋しょ

116 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:12:32.58 ID:xGA19+n40.net

もありました。国元へは私から知らせてもらいたいという依頼もありました。必要な事はみんな一口ひと
くちずつ書いてある中にお嬢さんの名前だけはどこにも見えません。私はしまいまで読んで、すぐKがわ
ざと回避したのだという事に気が付きました。しかし私のもっとも痛切に感じたのは、最後に墨すみの余
りで書き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文
句でした。
 私は顫ふるえる手で、手紙を巻き収めて、再び封の中へ入れました。私はわざとそれを皆みんなの眼に
着くように、元の通り机の上に置きました。そうして振り返って、襖ふすまに迸ほとばしっている血潮を
始めて見たのです。

四十九

「私は突然Kの頭を抱かかえるように両手で少し持ち上げました。私はKの死顔しにがおが一目ひとめ見
たかったのです。しかし俯伏うつぶしになっている彼の顔を、こうして下から覗のぞき込んだ時、私はす
ぐその手を放してしまいました。慄ぞっとしたばかりではないのです。彼の頭が非常に重たく感ぜられた
のです。私は上から今触さわった冷たい耳と、平生へいぜいに変らない五分刈ごぶがりの濃い髪の毛を少
時しばらく眺ながめていました。私は少しも泣く気にはなれませんでした。私はただ恐ろしかったのです
。そうしてその恐ろしさは、眼の前の光景が官能を刺激しげきして起る単調な恐ろしさばかりではありま
せん。私は忽然こつぜんと冷たくなったこの友達によって暗示された運命の恐ろしさを深く感じたのです

 私は何の分別ふんべつもなくまた私の室へやに帰りました。そうして八畳の中をぐるぐる廻まわり始め
ました。私の頭は無意味でも当分そうして動いていろと私に命令するのです。私はどうかしなければなら
ないと思いました。同時にもうどうする事もできないのだと思いました。座敷の中をぐるぐる廻らなけれ
ばいられなくなったのです。檻おりの中へ入れられた熊くまのような態度で。
 私は時々奥へ行って奥さんを起そうという気になります。けれども女にこの恐ろしい有様を見せては悪
いという心持がすぐ私を遮さえぎります。奥さんはとにかく、お嬢さんを驚かす事は、とてもできないと
いう強い意志が私を抑おさえつけます。私はまたぐるぐる廻り始めるのです。
 私はその間に自分の室の洋燈ランプを点つけました。それから時計を折々見ました。その時の時計ほど
埒らちの明あかない遅いものはありませんでした。私の起きた時間は、正確に分らないのですけれども、
もう夜明よあけに間まもなかった事だけは明らかです。ぐるぐる廻まわりながら、その夜明を待ち焦こが
れた私は、永久に暗い夜が続くのではなかろうかという思いに悩まされました。
 我々は七時前に起きる習慣でした。学校は八時に始まる事が多いので、それでないと授業に間に合わな
いのです。下女げじょはその関係で六時頃に起きる訳になっていました。しかしその日私が下女を起しに
行ったのはまだ六時前でした。すると奥さんが今日は日曜だといって注意してくれました。奥さんは私の
足音で眼を覚ましたのです。私は奥さんに眼が覚めているなら、ちょっと私の室へやまで来てくれと頼み
ました。奥さんは寝巻の上へ不断着ふだんぎの羽織を引ひっ掛かけて、私の後あとに跟ついて来ました。
私は室へはいるや否いなや、今まで開あいていた仕切りの襖ふすまをすぐ立て切りました。そうして奥さ
んに飛んだ事ができたと小声で告げました。奥さんは何だと聞きました。私は顋あごで隣の室を指すよう

33 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 09:55:43.83 ID:xGA19+n40.net

が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型いかたに入れたような悪人は世の中にあるはずが
ありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという
間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」
 先生のいう事は、ここで切れる様子もなかった。私はまたここで何かいおうとした。すると後うしろの
方で犬が急に吠ほえ出した。先生も私も驚いて後ろを振り返った。
 縁台の横から後部へ掛けて植え付けてある杉苗の傍そばに、熊笹くまざさが三坪みつぼほど地を隠すよ
うに茂って生えていた。犬はその顔と背を熊笹の上に現わして、盛んに吠え立てた。そこへ十とおぐらい
の小供こどもが馳かけて来て犬を叱しかり付けた。小供は徽章きしょうの着いた黒い帽子を被かぶったま
ま先生の前へ廻まわって礼をした。
「叔父さん、はいって来る時、家うちに誰だれもいなかったかい」と聞いた。
「誰もいなかったよ」
「姉さんやおっかさんが勝手の方にいたのに」
「そうか、いたのかい」
「ああ。叔父さん、今日こんちはって、断ってはいって来ると好よかったのに」
 先生は苦笑した。懐中ふところから蟇口がまぐちを出して、五銭の白銅はくどうを小供の手に握らせた

「おっかさんにそういっとくれ。少しここで休まして下さいって」
 小供は怜悧りこうそうな眼に笑わらいを漲みなぎらして、首肯うなずいて見せた。
「今斥候長せっこうちょうになってるところなんだよ」
 小供はこう断って、躑躅つつじの間を下の方へ駈け下りて行った。犬も尻尾しっぽを高く巻いて小供の
後を追い掛けた。しばらくすると同じくらいの年格好の小供が二、三人、これも斥候長の下りて行った方
へ駈けていった。

二十九

 先生の談話は、この犬と小供のために、結末まで進行する事ができなくなったので、私はついにその要
領を得ないでしまった。先生の気にする財産云々うんぬんの掛念けねんはその時の私わたくしには全くな
かった。私の性質として、また私の境遇からいって、その時の私には、そんな利害の念に頭を悩ます余地
がなかったのである。考えるとこれは私がまだ世間に出ないためでもあり、また実際その場に臨まないた
めでもあったろうが、とにかく若い私にはなぜか金の問題が遠くの方に見えた。
 先生の話のうちでただ一つ底まで聞きたかったのは、人間がいざという間際に、誰でも悪人になるとい
う言葉の意味であった。単なる言葉としては、これだけでも私に解わからない事はなかった。しかし私は
この句についてもっと知りたかった。
 犬と小供こどもが去ったあと、広い若葉の園は再び故もとの静かさに帰った。そうして我々は沈黙に鎖
とざされた人のようにしばらく動かずにいた。うるわしい空の色がその時次第に光を失って来た。眼の前
にある樹きは大概楓かえでであったが、その枝に滴したたるように吹いた軽い緑の若葉が、段々暗くなっ
て行くように思われた。遠い往来を荷車を引いて行く響きがごろごろと聞こえた。私はそれを村の男が植
木か何かを載せて縁日えんにちへでも出掛けるものと想像した。先生はその音を聞くと、急に瞑想めいそ
うから呼息いきを吹き返した人のように立ち上がった。
「もう、そろそろ帰りましょう。大分だいぶ日が永くなったようだが、やっぱりこう安閑としているうち
には、いつの間にか暮れて行くんだね」

112 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:11:44.66 ID:xGA19+n40.net

かからなかったでしょう。奥さんは何の条件も持ち出さなかったのです。親類に相談する必要もない、後
から断ればそれで沢山だといいました。本人の意嚮いこうさえたしかめるに及ばないと明言しました。そ
んな点になると、学問をした私の方が、かえって形式に拘泥こうでいするくらいに思われたのです。親類
はとにかく、当人にはあらかじめ話して承諾を得うるのが順序らしいと私が注意した時、奥さんは「大丈
夫です。本人が不承知の所へ、私があの子をやるはずがありませんから」といいました。
 自分の室へやへ帰った私は、事のあまりに訳もなく進行したのを考えて、かえって変な気持になりまし
た。はたして大丈夫なのだろうかという疑念さえ、どこからか頭の底に這はい込んで来たくらいです。け
れども大体の上において、私の未来の運命は、これで定められたのだという観念が私のすべてを新たにし
ました。
 私は午頃ひるごろまた茶の間へ出掛けて行って、奥さんに、今朝けさの話をお嬢さんに何時いつ通じて
くれるつもりかと尋ねました。奥さんは、自分さえ承知していれば、いつ話しても構わなかろうというよ
うな事をいうのです。こうなると何だか私よりも相手の方が男みたようなので、私はそれぎり引き込もう
としました。すると奥さんが私を引き留めて、もし早い方が希望ならば、今日でもいい、稽古けいこから
帰って来たら、すぐ話そうというのです。私はそうしてもらう方が都合が好いいと答えてまた自分の室に
帰りました。しかし黙って自分の机の前に坐すわって、二人のこそこそ話を遠くから聞いている私を想像
してみると、何だか落ち付いていられないような気もするのです。私はとうとう帽子を被かぶって表へ出
ました。そうしてまた坂の下でお嬢さんに行き合いました。何にも知らないお嬢さんは私を見て驚いたら
しかったのです。私が帽子を脱とって「今お帰り」と尋ねると、向うではもう病気は癒なおったのかと不
思議そうに聞くのです。私は「ええ癒りました、癒りました」と答えて、ずんずん水道橋すいどうばしの
方へ曲ってしまいました。

四十六

「私は猿楽町さるがくちょうから神保町じんぼうちょうの通りへ出て、小川町おがわまちの方へ曲りまし
た。私がこの界隈かいわいを歩くのは、いつも古本屋をひやかすのが目的でしたが、その日は手摺てずれ
のした書物などを眺ながめる気が、どうしても起らないのです。私は歩きながら絶えず宅うちの事を考え
ていました。私には先刻さっきの奥さんの記憶がありました。それからお嬢さんが宅へ帰ってからの想像
がありました。私はつまりこの二つのもので歩かせられていたようなものです。その上私は時々往来の真
中で我知らずふと立ち留まりました。そうして今頃は奥さんがお嬢さんにもうあの話をしている時分だろ
うなどと考えました。また或ある時は、もうあの話が済んだ頃だとも思いました。
 私はとうとう万世橋まんせいばしを渡って、明神みょうじんの坂を上がって、本郷台ほんごうだいへ来
て、それからまた菊坂きくざかを下りて、しまいに小石川こいしかわの谷へ下りたのです。私の歩いた距
離はこの三区に跨またがって、いびつな円を描えがいたともいわれるでしょうが、私はこの長い散歩の間
ほとんどKの事を考えなかったのです。今その時の私を回顧して、なぜだと自分に聞いてみても一向いっ
こう分りません。ただ不思議に思うだけです。私の心がKを忘れ得うるくらい、一方に緊張していたとみ

139 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 11:05:42.44 ID:xGA19+n40.net

目まじめに考えた事がありませんね」といった。私は黙った。先生もそれぎり何ともいわなくなった。
 墓地の区切り目に、大きな銀杏いちょうが一本空を隠すように立っていた。その下へ来た時、先生は高
い梢こずえを見上げて、「もう少しすると、綺麗きれいですよ。この木がすっかり黄葉こうようして、こ
こいらの地面は金色きんいろの落葉で埋うずまるようになります」といった。先生は月に一度ずつは必ず
この木の下を通るのであった。
 向うの方で凸凹でこぼこの地面をならして新墓地を作っている男が、鍬くわの手を休めて私たちを見て
いた。私たちはそこから左へ切れてすぐ街道へ出た。
 これからどこへ行くという目的あてのない私は、ただ先生の歩く方へ歩いて行った。先生はいつもより
口数を利きかなかった。それでも私はさほどの窮屈を感じなかったので、ぶらぶらいっしょに歩いて行っ
た。
「すぐお宅たくへお帰りですか」
「ええ別に寄る所もありませんから」
 二人はまた黙って南の方へ坂を下りた。
「先生のお宅の墓地はあすこにあるんですか」と私がまた口を利き出した。
「いいえ」
「どなたのお墓があるんですか。――ご親類のお墓ですか」
「いいえ」
 先生はこれ以外に何も答えなかった。私もその話はそれぎりにして切り上げた。すると一町ちょうほど
歩いた後あとで、先生が不意にそこへ戻って来た。
「あすこには私の友達の墓があるんです」
「お友達のお墓へ毎月まいげつお参りをなさるんですか」
「そうです」
 先生はその日これ以外を語らなかった。

 私はそれから時々先生を訪問するようになった。行くたびに先生は在宅であった。先生に会う度数どす
うが重なるにつれて、私はますます繁しげく先生の玄関へ足を運んだ。
 けれども先生の私に対する態度は初めて挨拶あいさつをした時も、懇意になったその後のちも、あまり
変りはなかった。先生は何時いつも静かであった。ある時は静か過ぎて淋さびしいくらいであった。私は
最初から先生には近づきがたい不思議があるように思っていた。それでいて、どうしても近づかなければ
いられないという感じが、どこかに強く働いた。こういう感じを先生に対してもっていたものは、多くの
人のうちであるいは私だけかも知れない。しかしその私だけにはこの直感が後のちになって事実の上に証
拠立てられたのだから、私は若々しいといわれても、馬鹿ばかげていると笑われても、それを見越した自
分の直覚をとにかく頼もしくまた嬉うれしく思っている。人間を愛し得うる人、愛せずにはいられない人
、それでいて自分の懐ふところに入いろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、――
これが先生であった。
 今いった通り先生は始終静かであった。落ち付いていた。けれども時として変な曇りがその顔を横切る
事があった。窓に黒い鳥影が射さすように。射すかと思うと、すぐ消えるには消えたが。私が始めてその
曇りを先生の眉間みけんに認めたのは、雑司ヶ谷ぞうしがやの墓地で、不意に先生を呼び掛けた時であっ
た。私はその異様の瞬間に、今まで快く流れていた心臓の潮流をちょっと鈍らせた。しかしそれは単に一
時の結滞けったいに過ぎなかった。私の心は五分と経たたないうちに平素の弾力を回復した。私はそれぎ
り暗そうなこの雲の影を忘れてしまった。ゆくりなくまたそれを思い出させられたのは、小春こはるの尽

42 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 09:57:31.70 ID:xGA19+n40.net

らば、先生はどうするだろう。奥さんはどうするだろう。先生も奥さんも、今のような態度でいるより外
ほかに仕方がないだろうと思った。(死に近づきつつある父を国元に控えながら、この私がどうする事も
できないように)。私は人間を果敢はかないものに観じた。人間のどうする事もできない持って生れた軽
薄を、果敢ないものに観じた。
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中 両親と私

 宅うちへ帰って案外に思ったのは、父の元気がこの前見た時と大して変っていない事であった。
「ああ帰ったかい。そうか、それでも卒業ができてまあ結構だった。ちょっとお待ち、今顔を洗って来る
から」
 父は庭へ出て何かしていたところであった。古い麦藁帽むぎわらぼうの後ろへ、日除ひよけのために括
くくり付けた薄汚うすぎたないハンケチをひらひらさせながら、井戸のある裏手の方へ廻まわって行った

 学校を卒業するのを普通の人間として当然のように考えていた私わたくしは、それを予期以上に喜んで
くれる父の前に恐縮した。
「卒業ができてまあ結構だ」
 父はこの言葉を何遍なんべんも繰り返した。私は心のうちでこの父の喜びと、卒業式のあった晩先生の
家うちの食卓で、「お目出とう」といわれた時の先生の顔付かおつきとを比較した。私には口で祝ってく
れながら、腹の底でけなしている先生の方が、それほどにもないものを珍しそうに嬉うれしがる父よりも
、かえって高尚に見えた。私はしまいに父の無知から出る田舎臭いなかくさいところに不快を感じ出した

「大学ぐらい卒業したって、それほど結構でもありません。卒業するものは毎年何百人だってあります」
 私はついにこんな口の利ききようをした。すると父が変な顔をした。
「何も卒業したから結構とばかりいうんじゃない。そりゃ卒業は結構に違いないが、おれのいうのはもう
少し意味があるんだ。それがお前に解わかっていてくれさえすれば、……」
 私は父からその後あとを聞こうとした。父は話したくなさそうであったが、とうとうこういった。
「つまり、おれが結構という事になるのさ。おれはお前の知ってる通りの病気だろう。去年の冬お前に会
った時、ことによるともう三月みつきか四月よつきぐらいなものだろうと思っていたのさ。それがどうい
う仕合しあわせか、今日までこうしている。起居たちいに不自由なくこうしている。そこへお前が卒業し
てくれた。だから嬉うれしいのさ。せっかく丹精たんせいした息子が、自分のいなくなった後あとで卒業
してくれるよりも、丈夫なうちに学校を出てくれる方が親の身になれば嬉うれしいだろうじゃないか。大
きな考えをもっているお前から見たら、高たかが大学を卒業したぐらいで、結構だ結構だといわれるのは
余り面白くもないだろう。しかしおれの方から見てご覧、立場が少し違っているよ。つまり卒業はお前に
取ってより、このおれに取って結構なんだ。解ったかい」
 私は一言いちごんもなかった。詫あやまる以上に恐縮して俯向うつむいていた。父は平気なうちに自分
の死を覚悟していたものとみえる。しかも私の卒業する前に死ぬだろうと思い定めていたとみえる。その
卒業が父の心にどのくらい響くかも考えずにいた私は全く愚おろかものであった。私は鞄かばんの中から
卒業証書を取り出して、それを大事そうに父と母に見せた。証書は何かに圧おし潰つぶされて、元の形を
失っていた。父はそれを鄭寧ていねいに伸のした。

159 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 11:09:42.66 ID:xGA19+n40.net

「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間まに死ぬ人もあるでしょ
う。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」
「何だかそれは私にも解わからないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭かげですね」
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
 その日はそれで帰った。帰ってからも父の病気はそれほど苦にならなかった。先生のいった自然に死ぬ
とか、不自然の暴力で死ぬとかいう言葉も、その場限りの浅い印象を与えただけで、後あとは何らのこだ
わりを私の頭に残さなかった。私は今まで幾度いくたびか手を着けようとしては手を引っ込めた卒業論文
を、いよいよ本式に書き始めなければならないと思い出した。

二十五

 その年の六月に卒業するはずの私わたくしは、ぜひともこの論文を成規通せいきどおり四月いっぱいに
書き上げてしまわなければならなかった。二、三、四と指を折って余る時日を勘定して見た時、私は少し
自分の度胸を疑うたぐった。他ほかのものはよほど前から材料を蒐あつめたり、ノートを溜ためたりして
、余所目よそめにも忙いそがしそうに見えるのに、私だけはまだ何にも手を着けずにいた。私にはただ年
が改まったら大いにやろうという決心だけがあった。私はその決心でやり出した。そうして忽たちまち動
けなくなった。今まで大きな問題を空くうに描えがいて、骨組みだけはほぼでき上っているくらいに考え
ていた私は、頭を抑おさえて悩み始めた。私はそれから論文の問題を小さくした。そうして練り上げた思
想を系統的に纏まとめる手数を省くために、ただ書物の中にある材料を並べて、それに相当な結論をちょ
っと付け加える事にした。
 私の選択した問題は先生の専門と縁故の近いものであった。私がかつてその選択について先生の意見を
尋ねた時、先生は好いいでしょうといった。狼狽ろうばいした気味の私は、早速さっそく先生の所へ出掛
けて、私の読まなければならない参考書を聞いた。先生は自分の知っている限りの知識を、快く私に与え
てくれた上に、必要の書物を、二、三冊貸そうといった。しかし先生はこの点について毫ごうも私を指導
する任に当ろうとしなかった。
「近頃ちかごろはあんまり書物を読まないから、新しい事は知りませんよ。学校の先生に聞いた方が好い
でしょう」
 先生は一時非常の読書家であったが、その後ごどういう訳か、前ほどこの方面に興味が働かなくなった
ようだと、かつて奥さんから聞いた事があるのを、私はその時ふと思い出した。私は論文をよそにして、
そぞろに口を開いた。
「先生はなぜ元のように書物に興味をもち得ないんですか」
「なぜという訳もありませんが。……つまりいくら本を読んでもそれほどえらくならないと思うせいでし
ょう。それから……」
「それから、まだあるんですか」
「まだあるというほどの理由でもないが、以前はね、人の前へ出たり、人に聞かれたりして知らないと恥
のようにきまりが悪かったものだが、近頃は知らないという事が、それほどの恥でないように見え出した
ものだから、つい無理にも本を読んでみようという元気が出なくなったのでしょう。まあ早くいえば老い
込んだのです」
 先生の言葉はむしろ平静であった。世間に背中を向けた人の苦味くみを帯びていなかっただけに、私に

77 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:04:44.17 ID:xGA19+n40.net

のだから、今考えるとおかしいのです。私は他ひとを信じないと心に誓いながら、絶対にお嬢さんを信じ
ていたのですから。それでいて、私を信じている奥さんを奇異に思ったのですから。
 私は郷里の事について余り多くを語らなかったのです。ことに今度の事件については何もいわなかった
のです。私はそれを念頭に浮べてさえすでに一種の不愉快を感じました。私はなるべく奥さんの方の話だ
けを聞こうと力つとめました。ところがそれでは向うが承知しません。何かに付けて、私の国元の事情を
知りたがるのです。私はとうとう何もかも話してしまいました。私は二度と国へは帰らない。帰っても何
にもない、あるのはただ父と母の墓ばかりだと告げた時、奥さんは大変感動したらしい様子を見せました
。お嬢さんは泣きました。私は話して好いい事をしたと思いました。私は嬉うれしかったのです。
 私のすべてを聞いた奥さんは、はたして自分の直覚が的中したといわないばかりの顔をし出しました。
それからは私を自分の親戚みよりに当る若いものか何かを取り扱うように待遇するのです。私は腹も立ち
ませんでした。むしろ愉快に感じたくらいです。ところがそのうちに私の猜疑心さいぎしんがまた起って
来ました。
 私が奥さんを疑うたぐり始めたのは、ごく些細ささいな事からでした。しかしその些細な事を重ねて行
くうちに、疑惑は段々と根を張って来ます。私はどういう拍子かふと奥さんが、叔父おじと同じような意
味で、お嬢さんを私に接近させようと力つとめるのではないかと考え出したのです。すると今まで親切に
見えた人が、急に狡猾こうかつな策略家として私の眼に映じて来たのです。私は苦々にがにがしい唇を噛
かみました。
 奥さんは最初から、無人ぶにんで淋さむしいから、客を置いて世話をするのだと公言していました。私
もそれを嘘うそとは思いませんでした。懇意になって色々打ち明け話を聞いた後あとでも、そこに間違ま
ちがいはなかったように思われます。しかし一般の経済状態は大して豊ゆたかだというほどではありませ
んでした。利害問題から考えてみて、私と特殊の関係をつけるのは、先方に取って決して損ではなかった
のです。
 私はまた警戒を加えました。けれども娘に対して前いったくらいの強い愛をもっている私が、その母に
対していくら警戒を加えたって何になるでしょう。私は一人で自分を嘲笑ちょうしょうしました。馬鹿だ
なといって、自分を罵ののしった事もあります。しかしそれだけの矛盾ならいくら馬鹿でも私は大した苦
痛も感ぜずに済んだのです。私の煩悶はんもんは、奥さんと同じようにお嬢さんも策略家ではなかろうか
という疑問に会って始めて起るのです。二人が私の背後で打ち合せをした上、万事をやっているのだろう
と思うと、私は急に苦しくって堪たまらなくなるのです。不愉快なのではありません。絶体絶命のような
行き詰まった心持になるのです。それでいて私は、一方にお嬢さんを固く信じて疑わなかったのです。だ
から私は信念と迷いの途中に立って、少しも動く事ができなくなってしまいました。私にはどっちも想像
であり、またどっちも真実であったのです。

十六

「私は相変らず学校へ出席していました。しかし教壇に立つ人の講義が、遠くの方で聞こえるような心持
がしました。勉強もその通りでした。眼の中へはいる活字は心の底まで浸しみ渡らないうちに烟けむのご
とく消えて行くのです。私はその上無口になりました。それを二、三の友達が誤解して、冥想めいそうに

141 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 11:06:06.43 ID:xGA19+n40.net

う事も知っていた。先生と同郷の学生などには時たま座敷で同座する場合もあったが、彼らのいずれもは
皆みんな私ほど先生に親しみをもっていないように見受けられた。
「私は淋さびしい人間です」と先生がいった。「だからあなたの来て下さる事を喜んでいます。だからな
ぜそうたびたび来るのかといって聞いたのです」
「そりゃまたなぜです」
 私がこう聞き返した時、先生は何とも答えなかった。ただ私の顔を見て「あなたは幾歳いくつですか」
といった。
 この問答は私にとってすこぶる不得要領ふとくようりょうのものであったが、私はその時底そこまで押
さずに帰ってしまった。しかもそれから四日と経たたないうちにまた先生を訪問した。先生は座敷へ出る
や否いなや笑い出した。
「また来ましたね」といった。
「ええ来ました」といって自分も笑った。
 私は外ほかの人からこういわれたらきっと癪しゃくに触さわったろうと思う。しかし先生にこういわれ
た時は、まるで反対であった。癪に触らないばかりでなくかえって愉快だった。
「私は淋さびしい人間です」と先生はその晩またこの間の言葉を繰り返した。「私は淋しい人間ですが、
ことによるとあなたも淋しい人間じゃないですか。私は淋しくっても年を取っているから、動かずにいら
れるが、若いあなたはそうは行かないのでしょう。動けるだけ動きたいのでしょう。動いて何かに打ぶつ
かりたいのでしょう……」
「私はちっとも淋さむしくはありません」
「若いうちほど淋さむしいものはありません。そんならなぜあなたはそうたびたび私の宅うちへ来るので
すか」
 ここでもこの間の言葉がまた先生の口から繰り返された。
「あなたは私に会ってもおそらくまだ淋さびしい気がどこかでしているでしょう。私にはあなたのために
その淋しさを根元ねもとから引き抜いて上げるだけの力がないんだから。あなたは外ほかの方を向いて今
に手を広げなければならなくなります。今に私の宅の方へは足が向かなくなります」
 先生はこういって淋しい笑い方をした。

 幸さいわいにして先生の予言は実現されずに済んだ。経験のない当時の私わたくしは、この予言の中う
ちに含まれている明白な意義さえ了解し得なかった。私は依然として先生に会いに行った。その内うちい
つの間にか先生の食卓で飯めしを食うようになった。自然の結果奥さんとも口を利きかなければならない
ようになった。
 普通の人間として私は女に対して冷淡ではなかった。けれども年の若い私の今まで経過して来た境遇か
らいって、私はほとんど交際らしい交際を女に結んだ事がなかった。それが源因げんいんかどうかは疑問
だが、私の興味は往来で出合う知りもしない女に向かって多く働くだけであった。先生の奥さんにはその
前玄関で会った時、美しいという印象を受けた。それから会うたんびに同じ印象を受けない事はなかった
。しかしそれ以外に私はこれといってとくに奥さんについて語るべき何物ももたないような気がした。
 これは奥さんに特色がないというよりも、特色を示す機会が来なかったのだと解釈する方が正当かも知
れない。しかし私はいつでも先生に付属した一部分のような心持で奥さんに対していた。奥さんも自分の
夫の所へ来る書生だからという好意で、私を遇していたらしい。だから中間に立つ先生を取り除のければ
、つまり二人はばらばらになっていた。それで始めて知り合いになった時の奥さんについては、ただ美し

30 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 09:55:07.57 ID:xGA19+n40.net

はそれほどの手応てごたえもなかった。私は先生を老い込んだとも思わない代りに、偉いとも感心せずに
帰った。
 それからの私はほとんど論文に祟たたられた精神病者のように眼を赤くして苦しんだ。私は一年前ぜん
に卒業した友達について、色々様子を聞いてみたりした。そのうちの一人いちにんは締切しめきりの日に
車で事務所へ馳かけつけて漸ようやく間に合わせたといった。他の一人は五時を十五分ほど後おくらして
持って行ったため、危あやうく跳はね付けられようとしたところを、主任教授の好意でやっと受理しても
らったといった。私は不安を感ずると共に度胸を据すえた。毎日机の前で精根のつづく限り働いた。でな
ければ、薄暗い書庫にはいって、高い本棚のあちらこちらを見廻みまわした。私の眼は好事家こうずかが
骨董こっとうでも掘り出す時のように背表紙の金文字をあさった。
 梅が咲くにつけて寒い風は段々向むきを南へ更かえて行った。それが一仕切ひとしきり経たつと、桜の
噂うわさがちらほら私の耳に聞こえ出した。それでも私は馬車馬のように正面ばかり見て、論文に鞭むち
うたれた。私はついに四月の下旬が来て、やっと予定通りのものを書き上げるまで、先生の敷居を跨また
がなかった。

二十六

 私わたくしの自由になったのは、八重桜やえざくらの散った枝にいつしか青い葉が霞かすむように伸び
始める初夏の季節であった。私は籠かごを抜け出した小鳥の心をもって、広い天地を一目ひとめに見渡し
ながら、自由に羽搏はばたきをした。私はすぐ先生の家うちへ行った。枳殻からたちの垣が黒ずんだ枝の
上に、萌もえるような芽を吹いていたり、柘榴ざくろの枯れた幹から、つやつやしい茶褐色の葉が、柔ら
かそうに日光を映していたりするのが、道々私の眼を引き付けた。私は生れて初めてそんなものを見るよ
うな珍しさを覚えた。
 先生は嬉うれしそうな私の顔を見て、「もう論文は片付いたんですか、結構ですね」といった。私は「
お蔭かげでようやく済みました。もう何にもする事はありません」といった。
 実際その時の私は、自分のなすべきすべての仕事がすでに結了けつりょうして、これから先は威張って
遊んでいても構わないような晴やかな心持でいた。私は書き上げた自分の論文に対して充分の自信と満足
をもっていた。私は先生の前で、しきりにその内容を喋々ちょうちょうした。先生はいつもの調子で、「
なるほど」とか、「そうですか」とかいってくれたが、それ以上の批評は少しも加えなかった。私は物足
りないというよりも、聊いささか拍子抜けの気味であった。それでもその日私の気力は、因循いんじゅん
らしく見える先生の態度に逆襲を試みるほどに生々いきいきしていた。私は青く蘇生よみがえろうとする
大きな自然の中に、先生を誘い出そうとした。
「先生どこかへ散歩しましょう。外へ出ると大変好いい心持です」
「どこへ」
 私はどこでも構わなかった。ただ先生を伴つれて郊外へ出たかった。
 一時間の後のち、先生と私は目的どおり市を離れて、村とも町とも区別の付かない静かな所を宛あても
なく歩いた。私はかなめの垣から若い柔らかい葉を※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)もぎ
取って芝笛しばぶえを鳴らした。ある鹿児島人かごしまじんを友達にもって、その人の真似まねをしつつ
自然に習い覚えた私は、この芝笛というものを鳴らす事が上手であった。私が得意にそれを吹きつづける

129 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:15:08.72 ID:xGA19+n40.net

つすると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介やっかいになる気は
ない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極きまっている。
なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると
覚悟かくごをした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多がらくたを二束三文にそくさん
もんに売った。家屋敷いえやしきはある人の周旋しゅうせんである金満家に譲った。この方は大分金にな
ったようだが、詳くわしい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田
の小川町おがわまちへ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡わたるのを大いに残念がったが、自
分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出
来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来る
はずだ。婆さんは何なんにも知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
 兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も
兄の尻にくっ付いて九州下くんだりまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半よじょう
はんの安下宿に籠こもって、それすらもいざとなれば直ちに引き払はらわねばならぬ始末だ。どうする事
も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥おくさ
まをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥おいの厄介になりましょうとようやく決心した返事をした
。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支さしつかえなく暮していたから、今までも清に来るなら来い
と二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴なれた家うちの方がいいと云って応じな
かった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易ほうこうがえをして入らぬ気兼きがねを仕直すより、甥の厄
介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻さいを貰えの、来て世話をす
るのと云う。親身しんみの甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
 九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買しょうばいをするなり、学資
にして勉強をするなり、どうでも随意ずいいに使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にして
は感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊たんばくな処置が
気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと
云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場ていしゃばで分れたぎり兄にはその後一遍も
逢わない。
 おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒めんどくさくって旨うまく出来る
ものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今の
ようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいい
から、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出
来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来しょ
うらいどれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平まっぴらご免めんだ。新体詩な

153 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 11:08:30.57 ID:xGA19+n40.net

えってその逆を考えていた。先生は自分を嫌う結果、とうとう世の中まで厭いやになったのだろうと推測
していた。けれどもどう骨を折っても、その推測を突き留めて事実とする事ができなかった。先生の態度
はどこまでも良人おっとらしかった。親切で優しかった。疑いの塊かたまりをその日その日の情合じょう
あいで包んで、そっと胸の奥にしまっておいた奥さんは、その晩その包みの中を私の前で開けて見せた。
「あなたどう思って?」と聞いた。「私からああなったのか、それともあなたのいう人世観じんせいかん
とか何とかいうものから、ああなったのか。隠さずいって頂戴ちょうだい」
 私は何も隠す気はなかった。けれども私の知らないあるものがそこに存在しているとすれば、私の答え
が何であろうと、それが奥さんを満足させるはずがなかった。そうして私はそこに私の知らないあるもの
があると信じていた。
「私には解わかりません」
 奥さんは予期の外はずれた時に見る憐あわれな表情をその咄嗟とっさに現わした。私はすぐ私の言葉を
継ぎ足した。
「しかし先生が奥さんを嫌っていらっしゃらない事だけは保証します。私は先生自身の口から聞いた通り
を奥さんに伝えるだけです。先生は嘘うそを吐つかない方かたでしょう」
 奥さんは何とも答えなかった。しばらくしてからこういった。
「実は私すこし思いあたる事があるんですけれども……」
「先生がああいう風ふうになった源因げんいんについてですか」
「ええ。もしそれが源因だとすれば、私の責任だけはなくなるんだから、それだけでも私大変楽になれる
んですが、……」
「どんな事ですか」
 奥さんはいい渋って膝ひざの上に置いた自分の手を眺めていた。
「あなた判断して下すって。いうから」
「私にできる判断ならやります」
「みんなはいえないのよ。みんないうと叱しかられるから。叱られないところだけよ」
 私は緊張して唾液つばきを呑のみ込んだ。
「先生がまだ大学にいる時分、大変仲の好いいお友達が一人あったのよ。その方かたがちょうど卒業する
少し前に死んだんです。急に死んだんです」
 奥さんは私の耳に私語ささやくような小さな声で、「実は変死したんです」といった。それは「どうし
て」と聞き返さずにはいられないようないい方であった。
「それっ切りしかいえないのよ。けれどもその事があってから後のちなんです。先生の性質が段々変って
来たのは。なぜその方が死んだのか、私には解らないの。先生にもおそらく解っていないでしょう。けれ
どもそれから先生が変って来たと思えば、そう思われない事もないのよ」
「その人の墓ですか、雑司ヶ谷ぞうしがやにあるのは」
「それもいわない事になってるからいいません。しかし人間は親友を一人亡くしただけで、そんなに変化
できるものでしょうか。私はそれが知りたくって堪たまらないんです。だからそこを一つあなたに判断し
て頂きたいと思うの」
 私の判断はむしろ否定の方に傾いていた。

二十

 私わたくしは私のつらまえた事実の許す限り、奥さんを慰めようとした。奥さんもまたできるだけ私に
よって慰められたそうに見えた。それで二人は同じ問題をいつまでも話し合った。けれども私はもともと
事の大根おおねを攫つかんでいなかった。奥さんの不安も実はそこに漂ただよう薄い雲に似た疑惑から出
て来ていた。事件の真相になると、奥さん自身にも多くは知れていなかった。知れているところでも悉皆

22 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 09:53:31.49 ID:xGA19+n40.net

ると、私の感情が突然変る事が時々あった。私は自分の前に現われた女のために引き付けられる代りに、
その場に臨んでかえって変な反撥力はんぱつりょくを感じた。奥さんに対した私にはそんな気がまるで出
なかった。普通男女なんにょの間に横たわる思想の不平均という考えもほとんど起らなかった。私は奥さ
んの女であるという事を忘れた。私はただ誠実なる先生の批評家および同情家として奥さんを眺めた。
「奥さん、私がこの前なぜ先生が世間的にもっと活動なさらないのだろうといって、あなたに聞いた時に
、あなたはおっしゃった事がありますね。元はああじゃなかったんだって」
「ええいいました。実際あんなじゃなかったんですもの」
「どんなだったんですか」
「あなたの希望なさるような、また私の希望するような頼もしい人だったんです」
「それがどうして急に変化なすったんですか」
「急にじゃありません、段々ああなって来たのよ」
「奥さんはその間あいだ始終先生といっしょにいらしったんでしょう」
「無論いましたわ。夫婦ですもの」
「じゃ先生がそう変って行かれる源因げんいんがちゃんと解わかるべきはずですがね」
「それだから困るのよ。あなたからそういわれると実に辛つらいんですが、私にはどう考えても、考えよ
うがないんですもの。私は今まで何遍なんべんあの人に、どうぞ打ち明けて下さいって頼んで見たか分り
ゃしません」
「先生は何とおっしゃるんですか」
「何にもいう事はない、何にも心配する事はない、おれはこういう性質になったんだからというだけで、
取り合ってくれないんです」
 私は黙っていた。奥さんも言葉を途切とぎらした。下女部屋げじょべやにいる下女はことりとも音をさ
せなかった。私はまるで泥棒の事を忘れてしまった。
「あなたは私に責任があるんだと思ってやしませんか」と突然奥さんが聞いた。
「いいえ」と私が答えた。
「どうぞ隠さずにいって下さい。そう思われるのは身を切られるより辛いんだから」と奥さんがまたいっ
た。「これでも私は先生のためにできるだけの事はしているつもりなんです」
「そりゃ先生もそう認めていられるんだから、大丈夫です。ご安心なさい、私が保証します」
 奥さんは火鉢の灰を掻かき馴ならした。それから水注みずさしの水を鉄瓶てつびんに注さした。鉄瓶は
忽たちまち鳴りを沈めた。
「私はとうとう辛防しんぼうし切れなくなって、先生に聞きました。私に悪い所があるなら遠慮なくいっ
て下さい、改められる欠点なら改めるからって、すると先生は、お前に欠点なんかありゃしない、欠点は
おれの方にあるだけだというんです。そういわれると、私悲しくなって仕様がないんです、涙が出てなお
の事自分の悪い所が聞きたくなるんです」
 奥さんは眼の中うちに涙をいっぱい溜ためた。

十九

 始め私わたくしは理解のある女性にょしょうとして奥さんに対していた。私がその気で話しているうち
に、奥さんの様子が次第に変って来た。奥さんは私の頭脳に訴える代りに、私の心臓ハートを動かし始め
た。自分と夫の間には何の蟠わだかまりもない、またないはずであるのに、やはり何かある。それだのに
眼を開あけて見極みきわめようとすると、やはり何なんにもない。奥さんの苦にする要点はここにあった

 奥さんは最初世の中を見る先生の眼が厭世的えんせいてきだから、その結果として自分も嫌われている
のだと断言した。そう断言しておきながら、ちっともそこに落ち付いていられなかった。底を割ると、か

137 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 11:05:18.34 ID:xGA19+n40.net

ような建物であった。そこに住んでいる人の先生の家族でない事も解わかった。私が先生先生と呼び掛け
るので、先生は苦笑いをした。私はそれが年長者に対する私の口癖くちくせだといって弁解した。私はこ
の間の西洋人の事を聞いてみた。先生は彼の風変りのところや、もう鎌倉かまくらにいない事や、色々の
話をした末、日本人にさえあまり交際つきあいをもたないのに、そういう外国人と近付ちかづきになった
のは不思議だといったりした。私は最後に先生に向かって、どこかで先生を見たように思うけれども、ど
うしても思い出せないといった。若い私はその時暗あんに相手も私と同じような感じを持っていはしまい
かと疑った。そうして腹の中で先生の返事を予期してかかった。ところが先生はしばらく沈吟ちんぎんし
たあとで、「どうも君の顔には見覚みおぼえがありませんね。人違いじゃないですか」といったので私は
変に一種の失望を感じた。

 私わたくしは月の末に東京へ帰った。先生の避暑地を引き上げたのはそれよりずっと前であった。私は
先生と別れる時に、「これから折々お宅たくへ伺っても宜よござんすか」と聞いた。先生は単簡たんかん
にただ「ええいらっしゃい」といっただけであった。その時分の私は先生とよほど懇意になったつもりで
いたので、先生からもう少し濃こまやかな言葉を予期して掛かかったのである。それでこの物足りない返
事が少し私の自信を傷いためた。
 私はこういう事でよく先生から失望させられた。先生はそれに気が付いているようでもあり、また全く
気が付かないようでもあった。私はまた軽微な失望を繰り返しながら、それがために先生から離れて行く
気にはなれなかった。むしろそれとは反対で、不安に揺うごかされるたびに、もっと前へ進みたくなった
。もっと前へ進めば、私の予期するあるものが、いつか眼の前に満足に現われて来るだろうと思った。私
は若かった。けれどもすべての人間に対して、若い血がこう素直に働こうとは思わなかった。私はなぜ先
生に対してだけこんな心持が起るのか解わからなかった。それが先生の亡くなった今日こんにちになって
、始めて解って来た。先生は始めから私を嫌っていたのではなかったのである。先生が私に示した時々の
素気そっけない挨拶あいさつや冷淡に見える動作は、私を遠ざけようとする不快の表現ではなかったので
ある。傷いたましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値のないものだから止よせと
いう警告を与えたのである。他ひとの懐かしみに応じない先生は、他ひとを軽蔑けいべつする前に、まず
自分を軽蔑していたものとみえる。
 私は無論先生を訪ねるつもりで東京へ帰って来た。帰ってから授業の始まるまでにはまだ二週間の日数
ひかずがあるので、そのうちに一度行っておこうと思った。しかし帰って二日三日と経たつうちに、鎌倉
かまくらにいた時の気分が段々薄くなって来た。そうしてその上に彩いろどられる大都会の空気が、記憶
の復活に伴う強い刺戟しげきと共に、濃く私の心を染め付けた。私は往来で学生の顔を見るたびに新しい
学年に対する希望と緊張とを感じた。私はしばらく先生の事を忘れた。
 授業が始まって、一カ月ばかりすると私の心に、また一種の弛たるみができてきた。私は何だか不足な
顔をして往来を歩き始めた。物欲しそうに自分の室へやの中を見廻みまわした。私の頭には再び先生の顔
が浮いて出た。私はまた先生に会いたくなった。

154 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 11:08:42.45 ID:xGA19+n40.net

すっかりは私に話す事ができなかった。したがって慰める私も、慰められる奥さんも、共に波に浮いて、
ゆらゆらしていた。ゆらゆらしながら、奥さんはどこまでも手を出して、覚束おぼつかない私の判断に縋
すがり付こうとした。
 十時頃ごろになって先生の靴の音が玄関に聞こえた時、奥さんは急に今までのすべてを忘れたように、
前に坐すわっている私をそっちのけにして立ち上がった。そうして格子こうしを開ける先生をほとんど出
合であい頭がしらに迎えた。私は取り残されながら、後あとから奥さんに尾ついて行った。下女げじょだ
けは仮寝うたたねでもしていたとみえて、ついに出て来なかった。
 先生はむしろ機嫌がよかった。しかし奥さんの調子はさらによかった。今しがた奥さんの美しい眼のう
ちに溜たまった涙の光と、それから黒い眉毛まゆげの根に寄せられた八の字を記憶していた私は、その変
化を異常なものとして注意深く眺ながめた。もしそれが詐いつわりでなかったならば、(実際それは詐り
とは思えなかったが)、今までの奥さんの訴えは感傷センチメントを玩もてあそぶためにとくに私を相手
に拵こしらえた、徒いたずらな女性の遊戯と取れない事もなかった。もっともその時の私には奥さんをそ
れほど批評的に見る気は起らなかった。私は奥さんの態度の急に輝いて来たのを見て、むしろ安心した。
これならばそう心配する必要もなかったんだと考え直した。
 先生は笑いながら「どうもご苦労さま、泥棒は来ませんでしたか」と私に聞いた。それから「来ないん
で張合はりあいが抜けやしませんか」といった。
 帰る時、奥さんは「どうもお気の毒さま」と会釈した。その調子は忙しいところを暇を潰つぶさせて気
の毒だというよりも、せっかく来たのに泥棒がはいらなくって気の毒だという冗談のように聞こえた。奥
さんはそういいながら、先刻さっき出した西洋菓子の残りを、紙に包んで私の手に持たせた。私はそれを
袂たもとへ入れて、人通りの少ない夜寒よさむの小路こうじを曲折して賑にぎやかな町の方へ急いだ。
 私はその晩の事を記憶のうちから抽ひき抜いてここへ詳くわしく書いた。これは書くだけの必要がある
から書いたのだが、実をいうと、奥さんに菓子を貰もらって帰るときの気分では、それほど当夜の会話を
重く見ていなかった。私はその翌日よくじつ午飯ひるめしを食いに学校から帰ってきて、昨夜ゆうべ机の
上に載のせて置いた菓子の包みを見ると、すぐその中からチョコレートを塗った鳶色とびいろのカステラ
を出して頬張ほおばった。そうしてそれを食う時に、必竟ひっきょうこの菓子を私にくれた二人の男女な
んにょは、幸福な一対いっついとして世の中に存在しているのだと自覚しつつ味わった。
 秋が暮れて冬が来るまで格別の事もなかった。私は先生の宅うちへ出ではいりをするついでに、衣服の
洗あらい張はりや仕立したて方かたなどを奥さんに頼んだ。それまで繻絆じゅばんというものを着た事の
ない私が、シャツの上に黒い襟のかかったものを重ねるようになったのはこの時からであった。子供のな
い奥さんは、そういう世話を焼くのがかえって退屈凌たいくつしのぎになって、結句けっく身体からだの
薬だぐらいの事をいっていた。
「こりゃ手織ておりね。こんな地じの好いい着物は今まで縫った事がないわ。その代り縫い悪にくいのよ
そりゃあ。まるで針が立たないんですもの。お蔭かげで針を二本折りましたわ」
 こんな苦情をいう時ですら、奥さんは別に面倒めんどうくさいという顔をしなかった。

83 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:05:56.17 ID:xGA19+n40.net

えがありますが、基督教キリストきょうについては、問われた事も答えられた例ためしもなかったのです
から、ちょっと驚きました。私はその理由わけを訊たずねずにはいられませんでした。Kは理由はないと
いいました。これほど人の有難ありがたがる書物なら読んでみるのが当り前だろうともいいました。その
上彼は機会があったら、『コーラン』も読んでみるつもりだといいました。彼はモハメッドと剣という言
葉に大いなる興味をもっているようでした。
 二年目の夏に彼は国から催促を受けてようやく帰りました。帰っても専門の事は何にもいわなかったも
のとみえます。家うちでもまたそこに気が付かなかったのです。あなたは学校教育を受けた人だから、こ
ういう消息をよく解しているでしょうが、世間は学生の生活だの、学校の規則だのに関して、驚くべく無
知なものです。我々に何でもない事が一向いっこう外部へは通じていません。我々はまた比較的内部の空
気ばかり吸っているので、校内の事は細大ともに世の中に知れ渡っているはずだと思い過ぎる癖がありま
す。Kはその点にかけて、私より世間を知っていたのでしょう、澄ました顔でまた戻って来ました。国を
立つ時は私もいっしょでしたから、汽車へ乗るや否いなやすぐどうだったとKに問いました。Kはどうで
もなかったと答えたのです。
 三度目の夏はちょうど私が永久に父母の墳墓の地を去ろうと決心した年です。私はその時Kに帰国を勧
めましたが、Kは応じませんでした。そう毎年まいとし家うちへ帰って何をするのだというのです。彼は
また踏み留とどまって勉強するつもりらしかったのです。私は仕方なしに一人で東京を立つ事にしました
。私の郷里で暮らしたその二カ月間が、私の運命にとって、いかに波瀾はらんに富んだものかは、前に書
いた通りですから繰り返しません。私は不平と幽欝ゆううつと孤独の淋さびしさとを一つ胸に抱いだいて
、九月に入いってまたKに逢あいました。すると彼の運命もまた私と同様に変調を示していました。彼は
私の知らないうちに、養家先ようかさきへ手紙を出して、こっちから自分の詐いつわりを白状してしまっ
たのです。彼は最初からその覚悟でいたのだそうです。今更いまさら仕方がないから、お前の好きなもの
をやるより外ほかに途みちはあるまいと、向うにいわせるつもりもあったのでしょうか。とにかく大学へ
入ってまでも養父母を欺あざむき通す気はなかったらしいのです。また欺こうとしても、そう長く続くも
のではないと見抜いたのかも知れません。

二十一

「Kの手紙を見た養父は大変怒りました。親を騙だますような不埒ふらちなものに学資を送る事はできな
いという厳しい返事をすぐ寄こしたのです。Kはそれを私わたくしに見せました。Kはまたそれと前後し
て実家から受け取った書翰しょかんも見せました。これにも前に劣らないほど厳しい詰責きっせきの言葉
がありました。養家先ようかさきへ対して済まないという義理が加わっているからでもありましょうが、
こっちでも一切いっさい構わないと書いてありました。Kがこの事件のために復籍してしまうか、それと
も他たに妥協の道を講じて、依然養家に留とどまるか、そこはこれから起る問題として、差し当りどうか
しなければならないのは、月々に必要な学資でした。
 私はその点についてKに何か考かんがえがあるのかと尋ねました。Kは夜学校やがっこうの教師でもす
るつもりだと答えました。その時分は今に比べると、存外ぞんがい世の中が寛くつろいでいましたから、

14 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 09:51:55.44 ID:xGA19+n40.net

葉のために、帰ってから安心して寝る事ができた。私はその後ごも長い間この「妻君のために」という言
葉を忘れなかった。
 先生と奥さんの間に起った波瀾はらんが、大したものでない事はこれでも解わかった。それがまた滅多
めったに起る現象でなかった事も、その後絶えず出入でいりをして来た私にはほぼ推察ができた。それど
ころか先生はある時こんな感想すら私に洩もらした。
「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。妻さい以外の女はほとんど女として私に訴えな
いのです。妻の方でも、私を天下にただ一人しかない男と思ってくれています。そういう意味からいって
、私たちは最も幸福に生れた人間の一対いっついであるべきはずです」
 私は今前後の行ゆき掛がかりを忘れてしまったから、先生が何のためにこんな自白を私にして聞かせた
のか、判然はっきりいう事ができない。けれども先生の態度の真面目まじめであったのと、調子の沈んで
いたのとは、いまだに記憶に残っている。その時ただ私の耳に異様に響いたのは、「最も幸福に生れた人
間の一対であるべきはずです」という最後の一句であった。先生はなぜ幸福な人間といい切らないで、あ
るべきはずであると断わったのか。私にはそれだけが不審であった。ことにそこへ一種の力を入れた先生
の語気が不審であった。先生は事実はたして幸福なのだろうか、また幸福であるべきはずでありながら、
それほど幸福でないのだろうか。私は心の中うちで疑うたぐらざるを得なかった。けれどもその疑いは一
時限りどこかへ葬ほうむられてしまった。
 私はそのうち先生の留守に行って、奥さんと二人差向さしむかいで話をする機会に出合った。先生はそ
の日横浜よこはまを出帆しゅっぱんする汽船に乗って外国へ行くべき友人を新橋しんばしへ送りに行って
留守であった。横浜から船に乗る人が、朝八時半の汽車で新橋を立つのはその頃ころの習慣であった。私
はある書物について先生に話してもらう必要があったので、あらかじめ先生の承諾を得た通り、約束の九
時に訪問した。先生の新橋行きは前日わざわざ告別に来た友人に対する礼義れいぎとしてその日突然起っ
た出来事であった。先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行った。それで私は
座敷へ上がって、先生を待つ間、奥さんと話をした。

十一

 その時の私わたくしはすでに大学生であった。始めて先生の宅うちへ来た頃ころから見るとずっと成人
した気でいた。奥さんとも大分だいぶ懇意になった後のちであった。私は奥さんに対して何の窮屈も感じ
なかった。差向さしむかいで色々の話をした。しかしそれは特色のないただの談話だから、今ではまるで
忘れてしまった。そのうちでたった一つ私の耳に留まったものがある。しかしそれを話す前に、ちょっと
断っておきたい事がある。
 先生は大学出身であった。これは始めから私に知れていた。しかし先生の何もしないで遊んでいるとい
う事は、東京へ帰って少し経たってから始めて分った。私はその時どうして遊んでいられるのかと思った

 先生はまるで世間に名前を知られていない人であった。だから先生の学問や思想については、先生と密
切みっせつの関係をもっている私より外ほかに敬意を払うもののあるべきはずがなかった。それを私は常
に惜おしい事だといった。先生はまた「私のようなものが世の中へ出て、口を利きいては済まない」と答
えるぎりで、取り合わなかった。私にはその答えが謙遜けんそん過ぎてかえって世間を冷評するようにも

69 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:03:08.13 ID:xGA19+n40.net

の疑惑を強く染めつけたものの一つでした。
 私はとうとう叔父おじと談判を開きました。談判というのは少し不穏当ふおんとうかも知れませんが、
話の成行なりゆきからいうと、そんな言葉で形容するより外に途みちのないところへ、自然の調子が落ち
て来たのです。叔父はどこまでも私を子供扱いにしようとします。私はまた始めから猜疑さいぎの眼で叔
父に対しています。穏やかに解決のつくはずはなかったのです。
 遺憾いかんながら私は今その談判の顛末てんまつを詳しくここに書く事のできないほど先を急いでいま
す。実をいうと、私はこれより以上に、もっと大事なものを控えているのです。私のペンは早くからそこ
へ辿たどりつきたがっているのを、漸やっとの事で抑えつけているくらいです。あなたに会って静かに話
す機会を永久に失った私は、筆を執とる術すべに慣れないばかりでなく、貴たっとい時間を惜おしむとい
う意味からして、書きたい事も省かなければなりません。
 あなたはまだ覚えているでしょう、私がいつかあなたに、造り付けの悪人が世の中にいるものではない
といった事を。多くの善人がいざという場合に突然悪人になるのだから油断してはいけないといった事を
。あの時あなたは私に昂奮こうふんしていると注意してくれました。そうしてどんな場合に、善人が悪人
に変化するのかと尋ねました。私がただ一口ひとくち金と答えた時、あなたは不満な顔をしました。私は
あなたの不満な顔をよく記憶しています。私は今あなたの前に打ち明けるが、私はあの時この叔父の事を
考えていたのです。普通のものが金を見て急に悪人になる例として、世の中に信用するに足るものが存在
し得ない例として、憎悪ぞうおと共に私はこの叔父を考えていたのです。私の答えは、思想界の奥へ突き
進んで行こうとするあなたに取って物足りなかったかも知れません、陳腐ちんぷだったかも知れません。
けれども私にはあれが生きた答えでした。現に私は昂奮していたではありませんか。私は冷ひややかな頭
で新しい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています。血の力で体
たいが動くからです。言葉が空気に波動を伝えるばかりでなく、もっと強い物にもっと強く働き掛ける事
ができるからです。

「一口ひとくちでいうと、叔父は私わたくしの財産を胡魔化ごまかしたのです。事は私が東京へ出ている
三年の間に容易たやすく行われたのです。すべてを叔父任まかせにして平気でいた私は、世間的にいえば
本当の馬鹿でした。世間的以上の見地から評すれば、あるいは純なる尊たっとい男とでもいえましょうか
。私はその時の己おのれを顧みて、なぜもっと人が悪く生れて来なかったかと思うと、正直過ぎた自分が
口惜くやしくって堪たまりません。しかしまたどうかして、もう一度ああいう生れたままの姿に立ち帰っ
て生きて見たいという心持も起るのです。記憶して下さい、あなたの知っている私は塵ちりに汚れた後あ
との私です。きたなくなった年数の多いものを先輩と呼ぶならば、私はたしかにあなたより先輩でしょう

 もし私が叔父の希望通り叔父の娘と結婚したならば、その結果は物質的に私に取って有利なものでした
ろうか。これは考えるまでもない事と思います。叔父おじは策略で娘を私に押し付けようとしたのです。
好意的に両家の便宜を計るというよりも、ずっと下卑げびた利害心に駆られて、結婚問題を私に向けたの

155 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 11:08:54.53 ID:xGA19+n40.net

二十一

 冬が来た時、私わたくしは偶然国へ帰らなければならない事になった。私の母から受け取った手紙の中
に、父の病気の経過が面白くない様子を書いて、今が今という心配もあるまいが、年が年だから、できる
なら都合して帰って来てくれと頼むように付け足してあった。
 父はかねてから腎臓じんぞうを病んでいた。中年以後の人にしばしば見る通り、父のこの病やまいは慢
性であった。その代り要心さえしていれば急変のないものと当人も家族のものも信じて疑わなかった。現
に父は養生のお蔭かげ一つで、今日こんにちまでどうかこうか凌しのいで来たように客が来ると吹聴ふい
ちょうしていた。その父が、母の書信によると、庭へ出て何かしている機はずみに突然眩暈めまいがして
引ッ繰り返った。家内かないのものは軽症の脳溢血のういっけつと思い違えて、すぐその手当をした。後
あとで医者からどうもそうではないらしい、やはり持病の結果だろうという判断を得て、始めて卒倒と腎
臓病とを結び付けて考えるようになったのである。
 冬休みが来るにはまだ少し間まがあった。私は学期の終りまで待っていても差支さしつかえあるまいと
思って一日二日そのままにしておいた。するとその一日二日の間に、父の寝ている様子だの、母の心配し
ている顔だのが時々眼に浮かんだ。そのたびに一種の心苦しさを嘗なめた私は、とうとう帰る決心をした
。国から旅費を送らせる手数てかずと時間を省くため、私は暇乞いとまごいかたがた先生の所へ行って、
要いるだけの金を一時立て替えてもらう事にした。
 先生は少し風邪かぜの気味で、座敷へ出るのが臆劫おっくうだといって、私をその書斎に通した。書斎
の硝子戸ガラスどから冬に入いって稀まれに見るような懐かしい和やわらかな日光が机掛つくえかけの上
に射さしていた。先生はこの日あたりの好いい室へやの中へ大きな火鉢を置いて、五徳ごとくの上に懸け
た金盥かなだらいから立ち上あがる湯気ゆげで、呼吸いきの苦しくなるのを防いでいた。
「大病は好いいが、ちょっとした風邪かぜなどはかえって厭いやなものですね」といった先生は、苦笑し
ながら私の顔を見た。
 先生は病気という病気をした事のない人であった。先生の言葉を聞いた私は笑いたくなった。
「私は風邪ぐらいなら我慢しますが、それ以上の病気は真平まっぴらです。先生だって同じ事でしょう。
試みにやってご覧になるとよく解わかります」
「そうかね。私は病気になるくらいなら、死病に罹かかりたいと思ってる」
 私は先生のいう事に格別注意を払わなかった。すぐ母の手紙の話をして、金の無心を申し出た。
「そりゃ困るでしょう。そのくらいなら今手元にあるはずだから持って行きたまえ」
 先生は奥さんを呼んで、必要の金額を私の前に並べさせてくれた。それを奥の茶箪笥ちゃだんすか何か
の抽出ひきだしから出して来た奥さんは、白い半紙の上へ鄭寧ていねいに重ねて、「そりゃご心配ですね
」といった。
「何遍なんべんも卒倒したんですか」と先生が聞いた。
「手紙には何とも書いてありませんが。――そんなに何度も引ッ繰り返るものですか」
「ええ」
 先生の奥さんの母親という人も私の父と同じ病気で亡くなったのだという事が始めて私に解った。
「どうせむずかしいんでしょう」と私がいった。
「そうさね。私が代られれば代ってあげても好いいが。――嘔気はきけはあるんですか」
「どうですか、何とも書いてないから、大方おおかたないんでしょう」

125 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:14:20.76 ID:xGA19+n40.net

のです。私は酔興すいきょうに書くのではありません。私を生んだ私の過去は、人間の経験の一部分とし
て、私より外ほかに誰も語り得るものはないのですから、それを偽いつわりなく書き残して置く私の努力
は、人間を知る上において、あなたにとっても、外の人にとっても、徒労ではなかろうと思います。渡辺
華山わたなべかざんは邯鄲かんたんという画えを描かくために、死期を一週間繰り延べたという話をつい
先達せんだって聞きました。他ひとから見たら余計な事のようにも解釈できましょうが、当人にはまた当
人相応の要求が心の中うちにあるのだからやむをえないともいわれるでしょう。私の努力も単にあなたに
対する約束を果たすためばかりではありません。半なかば以上は自分自身の要求に動かされた結果なので
す。
 しかし私は今その要求を果たしました。もう何にもする事はありません。この手紙があなたの手に落ち
る頃ころには、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう。妻は十日ばかり前から
市ヶ谷いちがやの叔母おばの所へ行きました。叔母が病気で手が足りないというから私が勧めてやったの
です。私は妻の留守の間あいだに、この長いものの大部分を書きました。時々妻が帰って来ると、私はす
ぐそれを隠しました。
 私は私の過去を善悪ともに他ひとの参考に供するつもりです。しかし妻だけはたった一人の例外だと承
知して下さい。私は妻には何にも知らせたくないのです。妻が己おのれの過去に対してもつ記憶を、なる
べく純白に保存しておいてやりたいのが私の唯一ゆいいつの希望なのですから、私が死んだ後あとでも、
妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて
下さい。」

坊っちゃん
夏目漱石

 親譲おやゆずりの無鉄砲むてっぽうで小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階か
ら飛び降りて一週間ほど腰こしを抜ぬかした事がある。なぜそんな無闇むやみをしたと聞く人があるかも
知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談じょうだんに、
いくら威張いばっても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃はやしたからである。小使
こづかいに負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼めをして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴
やつがあるかと云いったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。
 親類のものから西洋製のナイフを貰もらって奇麗きれいな刃はを日に翳かざして、友達ともだちに見せ
ていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受
け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲こ
うをはすに切り込こんだ。幸さいわいナイフが小さいのと、親指の骨が堅かたかったので、今だに親指は
手に付いている。しかし創痕きずあとは死ぬまで消えぬ。
 庭を東へ二十歩に行き尽つくすと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、真中まんなかに栗くり
の木が一本立っている。これは命より大事な栗だ。実の熟する時分は起き抜けに背戸せどを出て落ちた奴
を拾ってきて、学校で食う。菜園の西側が山城屋やましろやという質屋の庭続きで、この質屋に勘太郎か
んたろうという十三四の倅せがれが居た。勘太郎は無論弱虫である。弱虫の癖くせに四つ目垣を乗りこえ

157 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 11:09:18.53 ID:xGA19+n40.net

今いうこの簡単な返書で、あとの一通は先生の死ぬ前とくに私宛あてで書いた大変長いものである。
 父は病気の性質として、運動を慎まなければならないので、床を上げてからも、ほとんど戸外そとへは
出なかった。一度天気のごく穏やかな日の午後庭へ下りた事があるが、その時は万一を気遣きづかって、
私が引き添うように傍そばに付いていた。私が心配して自分の肩へ手を掛けさせようとしても、父は笑っ
て応じなかった。

二十三

 私わたくしは退屈な父の相手としてよく将碁盤しょうぎばんに向かった。二人とも無精な性質たちなの
で、炬燵こたつにあたったまま、盤を櫓やぐらの上へ載のせて、駒こまを動かすたびに、わざわざ手を掛
蒲団かけぶとんの下から出すような事をした。時々持駒もちごまを失なくして、次の勝負の来るまで双方
とも知らずにいたりした。それを母が灰の中から見付みつけ出して、火箸ひばしで挟はさみ上げるという
滑稽こっけいもあった。
「碁ごだと盤が高過ぎる上に、足が着いているから、炬燵の上では打てないが、そこへ来ると将碁盤は好
いいね、こうして楽に差せるから。無精者には持って来いだ。もう一番やろう」
 父は勝った時は必ずもう一番やろうといった。そのくせ負けた時にも、もう一番やろうといった。要す
るに、勝っても負けても、炬燵にあたって、将碁を差したがる男であった。始めのうちは珍しいので、こ
の隠居いんきょじみた娯楽が私にも相当の興味を与えたが、少し時日が経たつに伴つれて、若い私の気力
はそのくらいな刺戟しげきで満足できなくなった。私は金きんや香車きょうしゃを握った拳こぶしを頭の
上へ伸ばして、時々思い切ったあくびをした。
 私は東京の事を考えた。そうして漲みなぎる心臓の血潮の奥に、活動活動と打ちつづける鼓動こどうを
聞いた。不思議にもその鼓動の音が、ある微妙な意識状態から、先生の力で強められているように感じた

 私は心のうちで、父と先生とを比較して見た。両方とも世間から見れば、生きているか死んでいるか分
らないほど大人おとなしい男であった。他ひとに認められるという点からいえばどっちも零れいであった
。それでいて、この将碁を差したがる父は、単なる娯楽の相手としても私には物足りなかった。かつて遊
興のために往来ゆききをした覚おぼえのない先生は、歓楽の交際から出る親しみ以上に、いつか私の頭に
影響を与えていた。ただ頭というのはあまりに冷ひややか過ぎるから、私は胸といい直したい。肉のなか
に先生の力が喰くい込んでいるといっても、血のなかに先生の命が流れているといっても、その時の私に
は少しも誇張でないように思われた。私は父が私の本当の父であり、先生はまたいうまでもなく、あかの
他人であるという明白な事実を、ことさらに眼の前に並べてみて、始めて大きな真理でも発見したかのご
とくに驚いた。
 私がのつそつし出すと前後して、父や母の眼にも今まで珍しかった私が段々陳腐ちんぷになって来た。
これは夏休みなどに国へ帰る誰でもが一様に経験する心持だろうと思うが、当座の一週間ぐらいは下にも
置かないように、ちやほや歓待もてなされるのに、その峠を定規通ていきどおり通り越すと、あとはそろ
そろ家族の熱が冷めて来て、しまいには有っても無くっても構わないもののように粗末に取り扱われがち
になるものである。私も滞在中にその峠を通り越した。その上私は国へ帰るたびに、父にも母にも解わか

29 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 09:54:55.66 ID:xGA19+n40.net

「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間まに死ぬ人もあるでしょ
う。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」
「何だかそれは私にも解わからないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭かげですね」
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
 その日はそれで帰った。帰ってからも父の病気はそれほど苦にならなかった。先生のいった自然に死ぬ
とか、不自然の暴力で死ぬとかいう言葉も、その場限りの浅い印象を与えただけで、後あとは何らのこだ
わりを私の頭に残さなかった。私は今まで幾度いくたびか手を着けようとしては手を引っ込めた卒業論文
を、いよいよ本式に書き始めなければならないと思い出した。

二十五

 その年の六月に卒業するはずの私わたくしは、ぜひともこの論文を成規通せいきどおり四月いっぱいに
書き上げてしまわなければならなかった。二、三、四と指を折って余る時日を勘定して見た時、私は少し
自分の度胸を疑うたぐった。他ほかのものはよほど前から材料を蒐あつめたり、ノートを溜ためたりして
、余所目よそめにも忙いそがしそうに見えるのに、私だけはまだ何にも手を着けずにいた。私にはただ年
が改まったら大いにやろうという決心だけがあった。私はその決心でやり出した。そうして忽たちまち動
けなくなった。今まで大きな問題を空くうに描えがいて、骨組みだけはほぼでき上っているくらいに考え
ていた私は、頭を抑おさえて悩み始めた。私はそれから論文の問題を小さくした。そうして練り上げた思
想を系統的に纏まとめる手数を省くために、ただ書物の中にある材料を並べて、それに相当な結論をちょ
っと付け加える事にした。
 私の選択した問題は先生の専門と縁故の近いものであった。私がかつてその選択について先生の意見を
尋ねた時、先生は好いいでしょうといった。狼狽ろうばいした気味の私は、早速さっそく先生の所へ出掛
けて、私の読まなければならない参考書を聞いた。先生は自分の知っている限りの知識を、快く私に与え
てくれた上に、必要の書物を、二、三冊貸そうといった。しかし先生はこの点について毫ごうも私を指導
する任に当ろうとしなかった。
「近頃ちかごろはあんまり書物を読まないから、新しい事は知りませんよ。学校の先生に聞いた方が好い
でしょう」
 先生は一時非常の読書家であったが、その後ごどういう訳か、前ほどこの方面に興味が働かなくなった
ようだと、かつて奥さんから聞いた事があるのを、私はその時ふと思い出した。私は論文をよそにして、
そぞろに口を開いた。
「先生はなぜ元のように書物に興味をもち得ないんですか」
「なぜという訳もありませんが。……つまりいくら本を読んでもそれほどえらくならないと思うせいでし
ょう。それから……」
「それから、まだあるんですか」
「まだあるというほどの理由でもないが、以前はね、人の前へ出たり、人に聞かれたりして知らないと恥
のようにきまりが悪かったものだが、近頃は知らないという事が、それほどの恥でないように見え出した
ものだから、つい無理にも本を読んでみようという元気が出なくなったのでしょう。まあ早くいえば老い
込んだのです」
 先生の言葉はむしろ平静であった。世間に背中を向けた人の苦味くみを帯びていなかっただけに、私に

8 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 09:50:43.21 ID:xGA19+n40.net

 始めて先生の宅うちを訪ねた時、先生は留守であった。二度目に行ったのは次の日曜だと覚えている。
晴れた空が身に沁しみ込むように感ぜられる好いい日和ひよりであった。その日も先生は留守であった。
鎌倉にいた時、私は先生自身の口から、いつでも大抵たいてい宅にいるという事を聞いた。むしろ外出嫌
いだという事も聞いた。二度来て二度とも会えなかった私は、その言葉を思い出して、理由わけもない不
満をどこかに感じた。私はすぐ玄関先を去らなかった。下女げじょの顔を見て少し躊躇ちゅうちょしてそ
こに立っていた。この前名刺を取り次いだ記憶のある下女は、私を待たしておいてまた内うちへはいった
。すると奥さんらしい人が代って出て来た。美しい奥さんであった。
 私はその人から鄭寧ていねいに先生の出先を教えられた。先生は例月その日になると雑司ヶ谷ぞうしが
やの墓地にある或ある仏へ花を手向たむけに行く習慣なのだそうである。「たった今出たばかりで、十分
になるか、ならないかでございます」と奥さんは気の毒そうにいってくれた。私は会釈えしゃくして外へ
出た。賑にぎやかな町の方へ一丁ちょうほど歩くと、私も散歩がてら雑司ヶ谷へ行ってみる気になった。
先生に会えるか会えないかという好奇心も動いた。それですぐ踵きびすを回めぐらした。

 私わたくしは墓地の手前にある苗畠なえばたけの左側からはいって、両方に楓かえでを植え付けた広い
道を奥の方へ進んで行った。するとその端はずれに見える茶店ちゃみせの中から先生らしい人がふいと出
て来た。私はその人の眼鏡めがねの縁ふちが日に光るまで近く寄って行った。そうして出し抜けに「先生
」と大きな声を掛けた。先生は突然立ち留まって私の顔を見た。
「どうして……、どうして……」
 先生は同じ言葉を二遍へん繰り返した。その言葉は森閑しんかんとした昼の中うちに異様な調子をもっ
て繰り返された。私は急に何とも応こたえられなくなった。
「私の後あとを跟つけて来たのですか。どうして……」
 先生の態度はむしろ落ち付いていた。声はむしろ沈んでいた。けれどもその表情の中うちには判然はっ
きりいえないような一種の曇りがあった。
 私は私がどうしてここへ来たかを先生に話した。
「誰だれの墓へ参りに行ったか、妻さいがその人の名をいいましたか」
「いいえ、そんな事は何もおっしゃいません」
「そうですか。――そう、それはいうはずがありませんね、始めて会ったあなたに。いう必要がないんだ
から」
 先生はようやく得心とくしんしたらしい様子であった。しかし私にはその意味がまるで解わからなかっ
た。
 先生と私は通りへ出ようとして墓の間を抜けた。依撒伯拉何々イサベラなになにの墓だの、神僕しんぼ
くロギンの墓だのという傍かたわらに、一切衆生悉有仏生いっさいしゅじょうしつうぶっしょうと書いた
塔婆とうばなどが建ててあった。全権公使何々というのもあった。私は安得烈と彫ほり付けた小さい墓の
前で、「これは何と読むんでしょう」と先生に聞いた。「アンドレとでも読ませるつもりでしょうね」と
いって先生は苦笑した。
 先生はこれらの墓標が現わす人種々ひとさまざまの様式に対して、私ほどに滑稽こっけいもアイロニー
も認めてないらしかった。私が丸い墓石はかいしだの細長い御影みかげの碑ひだのを指して、しきりにか
れこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは死という事実をまだ真面

54 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:00:07.86 ID:xGA19+n40.net

いという文句だけしかなかった。私はそれを母に見せた。
「大方おおかた手紙で何とかいってきて下さるつもりだろうよ」
 母はどこまでも先生が私のために衣食の口を周旋してくれるものとばかり解釈しているらしかった。私
もあるいはそうかとも考えたが、先生の平生から推おしてみると、どうも変に思われた。「先生が口を探
してくれる」。これはあり得うべからざる事のように私には見えた。
「とにかく私の手紙はまだ向うへ着いていないはずだから、この電報はその前に出したものに違いないで
すね」
 私は母に向かってこんな分り切った事をいった。母はまたもっともらしく思案しながら「そうだね」と
答えた。私の手紙を読まない前に、先生がこの電報を打ったという事が、先生を解釈する上において、何
の役にも立たないのは知れているのに。
 その日はちょうど主治医が町から院長を連れて来るはずになっていたので、母と私はそれぎりこの事件
について話をする機会がなかった。二人の医者は立ち合いの上、病人に浣腸かんちょうなどをして帰って
行った。
 父は医者から安臥あんがを命ぜられて以来、両便とも寝たまま他ひとの手で始末してもらっていた。潔
癖な父は、最初の間こそ甚はなはだしくそれを忌いみ嫌ったが、身体からだが利きかないので、やむを得
ずいやいや床とこの上で用を足した。それが病気の加減で頭がだんだん鈍くなるのか何だか、日を経ふる
に従って、無精な排泄はいせつを意としないようになった。たまには蒲団ふとんや敷布を汚して、傍はた
のものが眉まゆを寄せるのに、当人はかえって平気でいたりした。もっとも尿の量は病気の性質として、
極めて少なくなった。医者はそれを苦にした。食欲も次第に衰えた。たまに何か欲しがっても、舌が欲し
がるだけで、咽喉のどから下へはごく僅わずかしか通らなかった。好きな新聞も手に取る気力がなくなっ
た。枕まくらの傍そばにある老眼鏡ろうがんきょうは、いつまでも黒い鞘さやに納められたままであった
。子供の時分から仲の好かった作さくさんという今では一里りばかり隔たった所に住んでいる人が見舞に
来た時、父は「ああ作さんか」といって、どんよりした眼を作さんの方に向けた。
「作さんよく来てくれた。作さんは丈夫で羨うらやましいね。己おれはもう駄目だめだ」
「そんな事はないよ。お前なんか子供は二人とも大学を卒業するし、少しぐらい病気になったって、申し
分はないんだ。おれをご覧よ。かかあには死なれるしさ、子供はなしさ。ただこうして生きているだけの
事だよ。達者だって何の楽しみもないじゃないか」
 浣腸かんちょうをしたのは作さんが来てから二、三日あとの事であった。父は医者のお蔭かげで大変楽
になったといって喜んだ。少し自分の寿命に対する度胸ができたという風ふうに機嫌が直った。傍そばに
いる母は、それに釣り込まれたのか、病人に気力を付けるためか、先生から電報のきた事を、あたかも私
の位置が父の希望する通り東京にあったように話した。傍そばにいる私はむずがゆい心持がしたが、母の
言葉を遮さえぎる訳にもゆかないので、黙って聞いていた。病人は嬉うれしそうな顔をした。
「そりゃ結構です」と妹いもとの夫もいった。
「何の口だかまだ分らないのか」と兄が聞いた。
 私は今更それを否定する勇気を失った。自分にも何とも訳の分らない曖昧あいまいな返事をして、わざ
と席を立った。

十四

 父の病気は最後の一撃を待つ間際まぎわまで進んで来て、そこでしばらく躊躇ちゅうちょするようにみ

91 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:07:32.28 ID:xGA19+n40.net

方ではなかったのです。しかし私は歩きながら、できるだけ話を彼に仕掛しかけてみました。私の問題は
おもに二人の下宿している家族についてでした。私は奥さんやお嬢さんを彼がどう見ているか知りたかっ
たのです。ところが彼は海のものとも山のものとも見分みわけの付かないような返事ばかりするのです。
しかもその返事は要領を得ないくせに、極めて簡単でした。彼は二人の女に関してよりも、専攻の学科の
方に多くの注意を払っているように見えました。もっともそれは二学年目の試験が目の前に逼せまってい
る頃ころでしたから、普通の人間の立場から見て、彼の方が学生らしい学生だったのでしょう。その上彼
はシュエデンボルグがどうだとかこうだとかいって、無学な私を驚かせました。
 我々が首尾よく試験を済ましました時、二人とももう後あと一年だといって奥さんは喜んでくれました
。そういう奥さんの唯一ゆいいつの誇ほこりとも見られるお嬢さんの卒業も、間もなく来る順になってい
たのです。Kは私に向って、女というものは何にも知らないで学校を出るのだといいました。Kはお嬢さ
んが学問以外に稽古けいこしている縫針ぬいはりだの琴だの活花いけばなだのを、まるで眼中に置いてい
ないようでした。私は彼の迂闊うかつを笑ってやりました。そうして女の価値はそんな所にあるものでな
いという昔の議論をまた彼の前で繰り返しました。彼は別段反駁はんばくもしませんでした。その代りな
るほどという様子も見せませんでした。私にはそこが愉快でした。彼のふんといったような調子が、依然
として女を軽蔑けいべつしているように見えたからです。女の代表者として私の知っているお嬢さんを、
物の数かずとも思っていないらしかったからです。今から回顧すると、私のKに対する嫉妬しっとは、そ
の時にもう充分萌きざしていたのです。
 私は夏休みにどこかへ行こうかとKに相談しました。Kは行きたくないような口振くちぶりを見せまし
た。無論彼は自分の自由意志でどこへも行ける身体からだではありませんが、私が誘いさえすれば、また
どこへ行っても差支さしつかえない身体だったのです。私はなぜ行きたくないのかと彼に尋ねてみました
。彼は理由も何にもないというのです。宅うちで書物を読んだ方が自分の勝手だというのです。私が避暑
地へ行って涼しい所で勉強した方が、身体のためだと主張すると、それなら私一人行ったらよかろうとい
うのです。しかし私はK一人をここに残して行く気にはなれないのです。私はただでさえKと宅のものが
段々親しくなって行くのを見ているのが、余り好いい心持ではなかったのです。私が最初希望した通りに
なるのが、何で私の心持を悪くするのかといわれればそれまでです。私は馬鹿に違いないのです。果はて
しのつかない二人の議論を見るに見かねて奥さんが仲へ入りました。二人はとうとういっしょに房州ぼう
しゅうへ行く事になりました。

二十八

「Kはあまり旅へ出ない男でした。私わたくしにも房州ぼうしゅうは始めてでした。二人は何にも知らな
いで、船が一番先へ着いた所から上陸したのです。たしか保田ほたとかいいました。今ではどんなに変っ
ているか知りませんが、その頃ころはひどい漁村でした。第一だいちどこもかしこも腥なまぐさいのです
。それから海へ入ると、波に押し倒されて、すぐ手だの足だのを擦すり剥むくのです。拳こぶしのような
大きな石が打ち寄せる波に揉もまれて、始終ごろごろしているのです。

66 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:02:32.11 ID:xGA19+n40.net

を投げたのは、叔父夫婦が口を揃そろえて、まだ高等学校へ入ったばかりの私に結婚を勧める事でした。
それは前後で丁度三、四回も繰り返されたでしょう。私も始めはただその突然なのに驚いただけでした。
二度目には判然はっきり断りました。三度目にはこっちからとうとうその理由を反問しなければならなく
なりました。彼らの主意は単簡たんかんでした。早く嫁よめを貰もらってここの家へ帰って来て、亡くな
った父の後を相続しろというだけなのです。家は休暇やすみになって帰りさえすれば、それでいいものと
私は考えていました。父の後を相続する、それには嫁が必要だから貰もらう、両方とも理屈としては一通
ひととおり聞こえます。ことに田舎の事情を知っている私には、よく解わかります。私も絶対にそれを嫌
ってはいなかったのでしょう。しかし東京へ修業に出たばかりの私には、それが遠眼鏡とおめがねで物を
見るように、遥はるか先の距離に望まれるだけでした。私は叔父の希望に承諾を与えないで、ついにまた
私の家を去りました。

「私は縁談の事をそれなり忘れてしまいました。私の周囲ぐるりを取り捲まいている青年の顔を見ると、
世帯染しょたいじみたものは一人もいません。みんな自由です、そうして悉ことごとく単独らしく思われ
たのです。こういう気楽な人の中うちにも、裏面にはいり込んだら、あるいは家庭の事情に余儀なくされ
て、すでに妻を迎えていたものがあったかも知れませんが、子供らしい私はそこに気が付きませんでした
。それからそういう特別の境遇に置かれた人の方でも、四辺あたりに気兼きがねをして、なるべくは書生
に縁の遠いそんな内輪の話はしないように慎んでいたのでしょう。後あとから考えると、私自身がすでに
その組だったのですが、私はそれさえ分らずに、ただ子供らしく愉快に修学の道を歩いて行きました。
 学年の終りに、私はまた行李こうりを絡からげて、親の墓のある田舎いなかへ帰って来ました。そうし
て去年と同じように、父母ちちははのいたわが家いえの中で、また叔父おじ夫婦とその子供の変らない顔
を見ました。私は再びそこで故郷ふるさとの匂においを嗅かぎました。その匂いは私に取って依然として
懐かしいものでありました。一学年の単調を破る変化としても有難いものに違いなかったのです。
 しかしこの自分を育て上げたと同じような匂いの中で、私はまた突然結婚問題を叔父から鼻の先へ突き
付けられました。叔父のいう所は、去年の勧誘を再び繰り返したのみです。理由も去年と同じでした。た
だこの前勧すすめられた時には、何らの目的物がなかったのに、今度はちゃんと肝心かんじんの当人を捕
つらまえていたので、私はなお困らせられたのです。その当人というのは叔父の娘すなわち私の従妹いと
こに当る女でした。その女を貰もらってくれれば、お互いのために便宜である、父も存生中ぞんしょうち
ゅうそんな事を話していた、と叔父がいうのです。私もそうすれば便宜だとは思いました。父が叔父にそ
ういう風ふうな話をしたというのもあり得うべき事と考えました。しかしそれは私が叔父にいわれて、始
めて気が付いたので、いわれない前から、覚さとっていた事柄ではないのです。だから私は驚きました。
驚いたけれども、叔父の希望に無理のないところも、それがためによく解わかりました。私は迂闊うかつ
なのでしょうか。あるいはそうなのかも知れませんが、おそらくその従妹に無頓着むとんじゃくであった

63 :山師さん (ワッチョイ bcc0-rn91):2016/05/19(木) 10:01:55.99 ID:xGA19+n40.net

ができたろうにと思います。
 私は二人の後あとに茫然ぼうぜんとして取り残されました。私には知識もなく、経験もなく、また分別
もありませんでした。父の死ぬ時、母は傍にいる事ができませんでした。母の死ぬ時、母には父の死んだ
事さえまだ知らせてなかったのです。母はそれを覚さとっていたか、または傍はたのもののいうごとく、
実際父は回復期に向いつつあるものと信じていたか、それは分りません。母はただ叔父おじに万事を頼ん
でいました。そこに居合いあわせた私を指さすようにして、「この子をどうぞ何分なにぶん」といいまし
た。私はその前から両親の許可を得て、東京へ出るはずになっていましたので、母はそれもついでにいう
つもりらしかったのです。それで「東京へ」とだけ付け加えましたら、叔父がすぐ後あとを引き取って、
「よろしい決して心配しないがいい」と答えました。母は強い熱に堪え得うる体質の女なんでしたろうか
、叔父は「確しっかりしたものだ」といって、私に向って母の事を褒ほめていました。しかしこれがはた
して母の遺言であったのかどうだか、今考えると分らないのです。母は無論父の罹かかった病気の恐るべ
き名前を知っていたのです。そうして、自分がそれに伝染していた事も承知していたのです。けれども自
分はきっとこの病気で命を取られるとまで信じていたかどうか、そこになると疑う余地はまだいくらでも
あるだろうと思われるのです。その上熱の高い時に出る母の言葉は、いかにそれが筋道の通った明らかな
ものにせよ、一向いっこう記憶となって母の頭に影さえ残していない事がしばしばあったのです。だから
……しかしそんな事は問題ではありません。ただこういう風ふうに物を解きほどいてみたり、またぐるぐ
る廻まわして眺ながめたりする癖くせは、もうその時分から、私にはちゃんと備わっていたのです。それ
はあなたにも始めからお断わりしておかなければならないと思いますが、その実例としては当面の問題に
大した関係のないこんな記述が、かえって役に立ちはしないかと考えます。あなたの方でもまあそのつも
りで読んでください。この性分しょうぶんが倫理的に個人の行為やら動作の上に及んで、私は後来こうら
いますます他ひとの徳義心を疑うようになったのだろうと思うのです。それが私の煩悶はんもんや苦悩に
向って、積極的に大きな力を添えているのは慥たしかですから覚えていて下さい。
 話が本筋ほんすじをはずれると、分り悪にくくなりますからまたあとへ引き返しましょう。これでも私
はこの長い手紙を書くのに、私と同じ地位に置かれた他ほかの人と比べたら、あるいは多少落ち付いてい
やしないかと思っているのです。世の中が眠ると聞こえだすあの電車の響ひびきももう途絶とだえました
。雨戸の外にはいつの間にか憐あわれな虫の声が、露の秋をまた忍びやかに思い出させるような調子で微
かすかに鳴いています。何も知らない妻さいは次の室へやで無邪気にすやすや寝入ねいっています。私が
筆を執とると、一字一劃かくができあがりつつペンの先で鳴っています。私はむしろ落ち付いた気分で紙
に向っているのです。不馴ふなれのためにペンが横へ外それるかも知れませんが、頭が悩乱のうらんして
筆がしどろに走るのではないように思います。

「とにかくたった一人取り残された私わたくしは、母のいい付け通り、この叔父おじを頼るより外ほかに
途みちはなかったのです。叔父はまた一切いっさいを引き受けて凡すべての世話をしてくれました。そう

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